【コラム】私と他者との「あいだ」が、テクノロジーサービスに置き換わる社会

in 小国町/時代をよむ/編集部から
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私と他者との「あいだ」が、テクノロジーやサービスに置き換わっていく社会。「あいだ」がないということは、関わりがないということである。確かに、ご飯を食べて、息を吸って、生物学的には生きているのかもしれない。そして、他者を介在させる煩わしさからも解放されるかもしれない。しかし、他者との関わりを持たずにひとりで生きる暮らしに、幸福や感動、意義を見出すことは簡単ではない。かくして私たちは今、生きる実感から遠ざかっている。

文:高橋博之


生きることの喜びや悲しみといった感情は、相手とのリアルな関わりの中でこそ立ち上がる。今回の小国プロジェクトで、大学生たちが発見したことのひとつはこのことではなかっただろうか。田丸さくらさんは20回近く小国に通い、3度にわたる都会からのツアーを、現地の人々と一緒に企画したという。現地の意向、都会のニーズ、両方を知った田丸さんはその調整に難儀したことだろう。関係のおもしろいところは、生き物と同じで変化していくことにある。会う回数が増えるごとに、関係は深まることもあれば、こじれることもある。そうして、損得を抜きにした豊穣な人間関係が育まれていく。

今秋、田丸さんのお父さんが亡くなったとき、彼女がその悲しみをSNSに吐露したところ、遠く離れた小国の地から、地縁血縁もない人々が哀悼のコメントを次々に寄せた。大都会の横浜で生まれ育った田丸さんにとって、小国は心の拠り所、ふるさとと呼べるような場所になったのではないだろうか。

彼女は一例に過ぎない。濃淡の差こそあれ、他に何人もの若者たちが各々、小国の人々と関係を紡いできた。その表れが、11月に東京で開催された小国イベントだったであろう。50人の定員に70人が殺到し、キャンセル待ち状態に。都会の学生と小国の住民の「あいだ」が熱を帯び、周囲に伝播したことは想像に難くない。小国に行けば「おかえり!」と出迎えられていた大学生たちが今度はホストとなり、小国の人々を温かく迎え入れた。こうした関係人口で成り立つ地図上にない小国コミュニティという生き物は、都市と地方の「あいだ」を取り戻しながら、この先どんな進化を遂げていくのだろう。


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