連載シリーズ「無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか」
いまはマタギもスマホを使う時代だ。しかし、山中ではスマホは使えないので、「無線機」を使う。だが、かつて「無線のない時代」もあった。そのころ、東北のマタギたちはどのように山を歩き回り、集団で意思疎通してクマを捕らえていたのだろうか。マタギ界のオピニオンリーダーに聞く。(編集部 森山)
語り手:斎藤重美さん
山形県小国町猟友会の副会長。10代でマタギになり、現在まで約100頭のクマを仕留めてきた。
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第一話 クマとの距離、2メートル
— 若い頃のクマ狩りはどんなものだったか?
無線機のない時代だったな。あのころは、時計を使った。山の下で時計の針を合わせて、「今から二時間以内にそれぞれ持ち場につけ」って。時間になれば始まるから。始まれば、実戦。
今じゃ考えられないほど接近戦だったな。当時の「村田銃」は一発ずつだからよ、昔の人は必ず一発で仕留めた。できるだけクマに接近してよ。おれが今まで近かったのは、2メートルくらいだ。
— 命の危険は感じなかったか?
そういうのはなかったね。
その時はクマが2つ向かってきたわけよ。まず、最初きたやつを撃ったば転けたべ。仕留めたと思って後ろから2頭目を待ってるわけよ。ところが、こねぇわけよ。困ったなと。
で、最初に撃ったやつを見たら、いねぇんだそこに…。どこ行ったんだ、おかしいなと。
そしたら、目の前にいるわけよ!!!
— どういうこと?
おそらく、わざと見えねぇとこ通って、おれのとこまで上がってきたんだべ。
— それでクマに襲われたか?
んだ。最初よ、バッとクマの手で脚をつかまれたのよ。それでガバッと噛まれた。
こっちは鉄砲さなんとか引き金引いて応じるわけよ。でも、ドン!と言わない。
— え?
弾がでねぇわけよ、こういう時に限って(笑)。
— どうして?
村田銃は不発があるんだ。自分で詰めた弾を使うから、詰め方が悪いと大事な火薬に火がつかねぇんだ。
▲現在はライフル。不発の心配もなくなった
— そんなことって…(汗)
しょうないから、クマの頭を鉄砲でたたいた。だども、ポッコン!ポッコン!って音するだけで木魚と同じよ。こりゃダメだと。
— かなりヤバい状況。
左脚はやられた。でも反対脚はあいてた。だからクマの顔面を蹴ってやった。クマも簡単には離れねぇ。一回ですぐにまくれねぇからよ。で、二三回蹴ったらまくれた。
— おお!
そのあと仲間がすぐ場所さ駆けつけてとどめ撃ってくれた。100キロはあったべな。
— 結局、重美さんは大丈夫だったか?
おお、大丈夫だ。今まだこうやって生きてっからな。
第二話「なぜ山言葉があるのか」につづく
連載シリーズ
第二話「なぜ山言葉があるのか」
第二話「なぜ山言葉があるのか」〜無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか〜
第三話「マタギの頭の中の“図面”」
第三話「マタギの頭の中の“図面”」〜無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか〜
第四話「変えてはいけない掟」
最終話「変えてはいけない掟」〜無線のない時代にマタギはどうやってクマをとったか〜
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