マタギにしか見えない山を見たかった。
マタギとは何か知っていますか?東北地方の豪雪山岳地帯に居住し、古くから伝えられてきた伝統作法を守り、ひとりではなく集団で狩猟を行なう人のことです。
マタギになるために山形県小国町に移住した、蛯原紘子さん。都会出身の彼女の心を震わせた、マタギという異世界についてお話いただきます。
◆「お前、そんなに言うんだったら熊狩りくるか?」
【 Interview 】蛯原紘子(えびはらひろこ)
熊本県熊本市出身。東北芸術工科大学日本画専攻。
小国町役場職員と、またぎの二足のわらじを履く。
大学時代は、日本画を描いていたんです。日本画ではないですが、これは鉛筆スケッチ。
写実的な絵が得意でした。動物が好きで、動物ばかり描いていましたね。
都会に住んでいて「動物を描きたい!」と思ったら、あなたはどこに行きますか?
私は、動物園に行きました。でも、動物園の動物って、ぐたーっとしてますよね。写実派だったので、緊張感のない姿に不満をおぼえました。こんなんじゃ野生でどんな姿をしているかもわからないし、もうやってらんないよという感じでした(笑)。
描くことに行き詰まり、もうダメかもと悩んでいた時に、田口洋美先生と出会いました。先生は20代からマタギにくっついて山を歩いていた人。話の中に、サルとかカモシカとか色んな動物が出て来るわけですよ。「この人面白い!」と居ても立っても居られなくなって、研究室のドアを叩きました。そうすると、
「お前、そんなに言うんだったら熊狩りにくるか?」
と声をかけてくれたので、はい行きます、と即答しました。
◆ マタギの山で受けた衝撃
ところが、マタギの世界には女人禁制の掟があった。山の神様は女だと言われていて、非常に嫉妬深い神様なんですね。そうとは知らずに、ただ先生についていきました。当然、マタギたちはびっくりしたわけです。突然きた娘を「マタギの仲間」として同行させることはできない。
だから「この娘は山の仲間じゃない、田口先生と学生がたまたまそこにいるだけだ」という設定にして、同行を許してくれました。先生とマタギたちが30年の長い付き合いだったことで、ギリギリ許された感じです。さらに運が良かったのは、当時の山親方が柔軟な考えを持っていたことでした。
「現代の社会が変わっていく中で、マタギだけ昔のままっていうのはどうか。よそ者や女性だからダメというのを続けていたら、集団で熊を取るマタギが維持できなくなる。」
今から20年前には、よその人を入れる文化ができていました。そしたら今度は女子が来たぞと。いきなりとは言えないけど、受け入れる気持ちは持ってくれていたんですね。
最初は登山道に近いところまで行きました。奥まで行かなかったのは、山の神様の怒りを恐れていたから。でも何にも起こらなかった。次はもう少し奥まで行ってみたけど、何にも起こらなかった。そうして少しずつ、距離を伸ばしていきました。面白かったのは、私が行くとなぜか毎回獲物が獲れたこと。場所によっては私が行ったところにしか熊が出なかった。
いよいよ登山道を外れて、マタギが使う道に連れて行ってもらった時にも、また獲れた。こうして「熊実績」を積んでいったんですね。
ところで、なぜそれほど夢中になって通い詰めたのか。考えてみると、初めてマタギの親方からかけてもらった言葉を思い出します。
「自分たちはこの山さ暮らしてて、今は自分たちが使ってる。だけど、先祖代々ずーっと使い続けて守ってきた山だから、自分たちが死ぬときは使える形で戻していくんだ」
マタギが持っている感覚が、ほんとうに新鮮でした。
熊本市街地で育ったので、なおさらだったと思います。都会で暮らしていると、野生動物なんてネズミ、ハト、カラス、スズメくらいしか見ないじゃないですか。ここには、熊が普通にいるわけですよ。テンやイタチ、カモシカ、あらゆる動物が家の裏にいる。私になくて、マタギたちが持っていたのは「山のすべてが生活の一部である」という豊かな暮らしの感覚でした。
だから熊を撃ちたかったわけではないんです。マタギの「暮らし」をもっと教えてもらいたかったんですね。彼らがどういう考えで暮らしてて、どういう考えの中で熊狩りのチームプレーをやっているのか。それを自分がわかるためには・・・行くしかないですよね。近づくところまで近づかないと、この人たちの言っていることはわからないぞと。好奇心ですね。
本気度を示すために、親の反対を押し切って鉄砲の免許も取りました。
初めて山に入ってから三年の月日がたったある日、「入っていいですか?」と聞いたら、班のみんなは話し合ってくれて「あいつだったらいいんじゃないか」と言ってもらえたんですね。
◆仲間に入れてもらう意味
マタギになって7年目ですが、まだマタギを何も語ることはできません。というか、語らないと決めています。一生かかっても絶対に追いつけないすごい先輩たちがいるのに、ペーペーが前に出るのはおこがましいからです。
ただ、私が力になれることもありました。役場に入って、鉄砲の担当になったことで、マタギの事務的な役割ができるようになって。たとえば、「今度鉄砲の制度が変わります」とか、「鳥獣被害が増えると鉄砲の助成が増えますよ」と事務的なことを答えられるようになりました。
自分の好奇心から始まりましたが、いまは仲間といるときの居心地の良さの方が大きいですね。とくに、春の熊狩りはものすごく危険です。マタギは、一人ひとりが能力・体力の限界までふり絞りながら、チームプレーで獲るわけですよ。一糸乱れぬチームになるには、最高の信頼関係が必要で、そこに一歩入れると、すごく居心地がいいんですよ!仲間から抜けるなんて気持ちは微塵もわかないくらいに。これは都会では味わったことがない感情でした。
会社員の飲み会って愚痴ばっかじゃないですか。マタギたちと飲んでると、「あそこの川渡れるぞ」とか、「トビ茸でたぞ」とか、楽しい山の情報を共有するわけですよ。昼間っから酒飲むこともあります。私が入った頃なんて、一人一升飲んでたからね。「人の数だけ一升瓶買ってる、なんだこれ!」みたいな(笑)。
◆マタギにしか見えない山
師匠の斎藤重美さんをずっと見てきて、先輩が大事にしてきたものを受け継ぎたいという気持ちが大きくなりました。というのも、先輩マタギには見えていて、私には見えない山があると思うのです。
ずーっと住んできて自分の庭の様に暮らしてきた人たちにとっての山って、まるで「手の平のようにわかる山」なんですね。たとえば、流れている川にもひとつひとつ名前が付いているんですよ。一緒に山を歩くと「ここはこうだ」と教えてもらえます。だからあの人たちの感覚の中にある山と、私に見えている山はぜんぜん別物ですね。私も、いつかそうなれるといいなと思う。
「1980年代の話だけどね」と前置きした上で、ある先輩がこんな話を聞かせてくれたことがあります。「真夜中に電話がかかってきて、“くまさんを殺さないで”って甲高い子どもの声で言って、そのまま切れてしまったんだ。」
山全体を眺めて、「ああでもないこうでもない」と話し合いがなら熊をとって、もちろん熊だけではなく「あの動物は増えた、あれは減った」と言いながら、マタギは一年中、山を見ている観察者です。ブナの研究者もブナのことしか知らないし、熊の研究者だって熊のことしか知らない。山に入って、一年の変化をずっと見続けてるのはやっぱりマタギなのね。
マタギほど山のことを知っている人はいません。そういう存在がここ、小国町にいるということを知ってもらいたいですね!
文責:森山健太(早稲田大学5年)
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