【 濁りも悪くない 】
全国のフレンドの皆様、超おはようございます!
愛とパワーを与えない百姓、中川吉右衛門です。
「苗なんかおかしいなが!??」
「いづから植えんなや!?早く植えろよ〜〜」
田んぼで会う人会う人に、聞かれるこの言葉・・笑
そうです。
近所の農家さんはこうして気にかけてくれています。
あまりにも、僕が田植えを始めないからです笑
それもそうです。
他の人の田植えは、もうすでに1週間〜2週間前に終わっているのですから。
以前は、このように聞かれると、ちょっと面倒に感じていましたが、今では、
「気にしてくれているんだなぁ」
と、その気遣いに、嬉しくなり、
「ありがとうございます!」
とお礼を言っております♫
そんな僕の今の田んぼ。
周りは、もう田植えも終わり、稲の活着も補植も終わり、春の農繁期もひと段落の風景が広がってる。
その中でポツン、ポツンと、全く植えられていない、水だけが張られた田んぼがそこかしこにある。
そんな状態なんです。
そりゃ不思議にも思いますよね笑
でも、僕は待ってるんです。
植えるタイミングを!
ひたすらひたすら待っています。
タイミングとは、今の田んぼとその草の状態。
あと一回。
どうしても代掻きしたいのです。
次、代掻きしたら、その田んぼから田植えを開始します。
稲的には、今の時期植えようが、5月中に植えようが、もうちょいあとに植えようが、ほとんど関係ありません。
それは、僕が実験・実証済みです。
早く植えるメリットはそんなにありません。
ただ!
気持ちとしては、
「植えたい!!」
本当に田植えしたいです!!笑
これは精神的な問題です。
いつでも落ち着かないんですよね。
苗が苗代にあるということが。
いつもいつも、頭のどっかに稲っこがいるんです。
もう稲っこたちは、準備万端です。
今か今かと、あの大海原の田んぼに放されるのを待っています。
それをなんとか、
と、言い聞かし、待ってもらってるんです。
それもまた、僕の心に圧をかける。それをどうにかこうにか振り切って、待っています。
完璧なタイミングを!
そんな中、今年初めて深水代掻きをやってみて感じたこと、気づいたこと。
これは僕も驚きました。
画像をご覧ください。

その後ろの田んぼの色です。
これね。
茶色に濁っている。
泥を攪拌したら、茶色に濁りますよね。
あんな感じで濁っている。
「え?それが何か?普通じゃないんですか?」
と、思いますよね。
これが、全く普通じゃないんです。
この田んぼ、代掻き直後じゃないんです。
前回代掻きして、四日以上経っている田んぼ。
普通なら。
代掻きで水と田んぼの土がかき回されて、泥水のように濁るのはわかります。
それが二日も経てば、泥が沈殿し、上にある水は澄んでくるんです。
まして、この四日の間に、二日間はまとまった量の雨が降りました。
雨が降ればなおのこと、田んぼの水は綺麗に透明になっていくのが「今の普通」なんです。
でも、僕の田んぼは濁ったままです。
ずっと濁っています。
これの正体はなんでしょう。
この水を分析したわけでもないので、科学的に証明することなどはできません。
が、きっとこれは、僕の田んぼにいる、無限の生き物たちです。
目には全く見えない。
けれど確実にそこに居る。
そこに在る。
「生命」たちであり、そして「死」です。
それが、僕の田んぼに溜めている水に溶け込んでいる。
僕はなんども、他の一般栽培の田んぼと見比べてみました。
気候条件なのかな?偶然なのかな?
でもやっぱり、僕の田んぼだけです。
この濁りがずっと続いている田んぼは。きっと、なんの殺菌剤も除草剤も肥料も入っていないからでしょう。
ここに生きるすべての生命の生と死の循環が僕の田んぼにあるということです。
そこに生まれ、そこで死に、それがまた生を生み、またそれが死に・・・・
まさに僕たちの一人一人の細胞のように。
こういうところなんですよ。
実際現場でやっている人しか見られない、気がつかない。
そして、目には見えないものに対する、この感性と感覚。
これを、リアルに感じる。
それがもう、もともとそこに「在る」ということ。
これがわかるということ。
これこそが、もっとも大事だと僕は思っています。
概念では、これらが見えません。
知識だけでもわからない。
科学だけでもわからない。
それは間違いない。でも、「濁り」があってこその透明。
濁りも悪くない!だろ?の素敵な1日を♫
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