にんにくの町、田子町で自然栽培にんにくをやる事の意義。
青森県田子町はにんにくの町として、全国でも知られています。
メディアでも頻繁に取り上げられています。
「青森県産にんにく」と「田子町産にんにく」では価格も差があり、
「田子町産にんにく」の方が高値で取引されているのが現状です。
昔から、にんにくの栽培が盛んなわけではありませんでした。
作物がなかなか育たない、やせた土地だと言われ、昔は穀物が盛んでした。
そのほかでは、炭焼きが盛んで、石油の需要が増えると、炭焼きの需要が減り。
冬には、男手が出稼ぎに行くのも少なくなかったそうです。
出稼ぎが多くなると、家に残るのは、女子、子供。
生活は楽なものではなかったでしょう。
これではだめだ!なんとか出稼ぎに行かなくてもいい、作付けできる作物を!
そんなときに、福地村(現在の南部町)でにんにくの栽培をしていると聞きつけ。
当時の青年部の方々が、にんにく栽培に取り掛かろうという動きになったそうです。
そう、福地ホワイト六片種にんにくです。
やせた土地に牛の堆肥を使い、にんにく栽培に取り組んでいったのです。
売り込む先は、首都圏、東京。
どんな取材も断らずに受け。
にんにくに特化した田子町を売り込んだ。
もちろん栽培技術も怠る事なく、規格も厳しく、選別し見合わないものは農家に返却され、もう一度選別をしたそうです。
町には、にんにくの形をした街灯。ポストなど。
姉妹都市ではアメリカのカリフォルニア州ギルロイ市。
大韓民国、瑞山市。
イタリア、モンティチェリ・ドンジーナ町。
との、交流があります。
にんにくの町ならではかと思います。
ざっとですが、田子町のにんにく歴史です。
多少は間違っているところがあると思いますが。
先輩農家さん達あっての、にんにくの町、田子町です。
田子町に生まれ育ち、就農しにんにく農家になり。
ブランドがあるというのは、とても強いと感じています。
機械が導入されると、作業も楽になり、大面積を手掛けることもできます。
就農してから、うちの畑も使っていいよ。という方が多いです。
代々受け継いできた、田畑を60~80代の方が今も管理しています。
みな、子供、孫は都市部で暮らし。
どちらかが亡くなると、一人暮らしになり。
そして、空き家になる。
親戚でもそういう方は多いです。
これが、田舎の現状です。
にんにくの話に戻りますが。
「田子町のにんにく」だからという理由で買って欲しくありません。
なにを言ってるんだと思うかもしれませんが。
「みやむ~のにんにく。」だから買いたい。
そうなって欲しいのです。
田子町が嫌いなわけではないです。
むしろ大好きなのです。
これからは、農家一人一人の魅力を知って、作物を買うという時代になってきてると感じています。
にんにくは肥料をたくさん使う作物です。
その結果、最近では連作障害などが問題になってます。
いちど畑のバランスが崩れると、元通りになるまでは相当な時間を必要とします。
受け継いだ畑を、この先もずっと耕し、畑を子供、孫世代まで残していけるよう。
肥料・農薬・除草剤・堆肥を使用しません。
そうすることにより、同じ畑を壊さず、バランスのとれた状態で種をおろし、作物のお手伝いを続けることができます。
だって、じいちゃんから譲り受けた畑を壊したら、天国のじいちゃんが悲しむから。
(2017. 1. 9)