こんばんはー!
いつの間にか夏が終わり、秋に突入しました。
今年の夏は、比較的早かったように思います。
就農一年目の夏は、体重の激減とクーラーのない生活による過度の夏バテでした。
そして、二年目(今年)の夏は、股下の汗疹(あせも)に泣かされた夏でした。
最大の原因は、田植え時期の長期間、雨の中、田植えやチェーン除草のため、田植機に長時間乗ったことと推察されます。
7月に入り、ずっーと、痒い→痛い→痒い→痛い→痒いエンドレスの日々。
痒いのを我慢するってのは、本当につらい。頭がどうにかなりそうになる。
最近、涼しくなり、回復の兆しも見え隠れするようになった気がしています。
他にも、爪が一部、田んぼの細菌系にやられて損傷していたり、耳が小さな虫に日々狙われてかさぶたが耐えなかったりと、慣れない(各種抗体を持ち合わせていない)環境で生活した場合は、あちらこちらで、副作用も勃発している、というのが事実です。(なお、主作用は、身体と心の大部分は、健康的になる、だと思います。たぶん。)
次に、
今の生活が「普通」になりつつあり。
普通になってくると、自分にとっては意識しなくなるので、農業や農村を客観的に見れなくなる部分も増えてきました。
水路の草刈りや、柵の補修、その他、集落の維持作業を日常的にしないといけない現在。
自然に囲まれた環境下で、人間社会を形成(自治)することは、相当な労力がかかることを実感しています。
ただ、やっていることに対しては、疑問をもたなくなりました。作業の目的が、住み良い集落にすることだからです。
都会生活での疑問の多く(生かされている感)が解消されていく今日この頃に対して満足しつつも、田舎で生きる厳しさについて、実感しないとわからない自分の馬鹿さ(利口でなさ)加減に嫌気もさしたりします。
そして、結論。
要は、日本人は、日本の田んぼをどうしたいのでしょうか?
仮に日本に田んぼが必要だと思っている人がいるとしたら、確かにお金の援助は必要やし、政策も重要やけど、一番必要なのは、人手です。
(アフリカで一番求められているのが、ODAの援助よりも国境なき医師団であるように)。
人間社会は、金が作るんじゃなくて、人が作る。
主観的な物言いでいい。 客観的な物言いは、学者さんで十分(な気がします)。
とにかく農村では人が足りていない。というか、足りていないレベルではなく、いない。
なので農村は、田んぼは、なくなる。
正直、もっと身体を張ってくれる人がいないと。
愚痴っぽいぞ!? 農村生活に疲れたのか?
そうかもしれない。
けど、それでもええんです。(今回は。)
自治会長や農会長、地域の各種、役の人や、その他の協力者。
納税だけでは解決出来ないことが、農村にはいっぱいあります。
それを背負い込んでいる人たちと接していると、このような気持ちになってしまう。
エンターテイメントで人を呼び込むことは、マーケティングでは必要なのかもしれないけど、
厳しい現実を知ってもなお、そこに飛び込もうという人でないと、役に立たない気がします。
都会との協力は、欠かせません。それは事実です。
が、今、田舎で一番必要なのは、田舎で生きてくれる人なんです。
そして、「田舎で生きてくれる人」。このような人を今後どんどん増やしていくことが、自分にとっての使命だと、勝手に思うことにしました。
(まずは、結婚相手を呼び込めと、色々なところから聞こえてきそーですが。。)
農村が断捨離の対象になりがちな世の中。まずは、その対象から外すことからです。
(よくよく考えると、これって結構難しいな。)
思うのは 一人前の 遠きこと