三月下旬となり、各地で季節の変わり目が見られる今日この頃。
変化するのは季節だけではありません。
私たち自身の周辺や環境も鮮やかな色合いを帯びてゆくのです。
就業,進学,Iターン,引越しなど……新たな出会いが様々な所で生まれてゆきます。
そのような今だからこそ、「初心」を通じて一次産業を再考してみませんか?
自分のルーティーンを確立し、後継者の育成に励むベテランさんから
一次産業という世界で未熟ながらも毎日一所懸命励んでいる新米さんまで
すべての人が経験している「初心」。
就農・就漁から未だ年の浅い5名のフレッシュマンさんの思い。
必ず心に届くものがあるはずです。
・これから一緒に
本年度分の苗木約30本
やっと植え終えました。
就農した自分と同じ一年目。
これから一緒に成長していきます。
美味しい葡萄実らせろよ!
5年後が楽しみです。
(元記事:奥野成樹 2016.2.29)
・私たち夫婦は「三島うど」に人生をかけました。
「三島うどの認知度をあげる。」
私たち夫婦は今年脱サラし、農業の経験もないまま、「三島うど農家」になりました。
三島うどというのは、小屋の中で藁と干し草を使って栽培する真っ白で軟らかいうどの一種。
大阪の三島地区で江戸時代から(もしかするともっと前かも)栽培されている伝統野菜で、
果物の梨のような甘さとシャキシャキ感が特徴です。
「超手間がかかる・技術がいる・が、あまり金にもならん」という理由で、
みんな栽培を辞めてしまい、同じ村に住むもうすぐ80歳の農家さんが
全国で唯一、三島うどの栽培を続けておられました。
当然のことながら超マニアックな野菜なので、
私は嫁ぐまで食べたことも見たこともなく、
夫も地元の特産品程度にしか思っていませんでした。
ところが、この三島うどはなぜか地元の人や一部のファンから熱烈に愛されていたのです。
私も嫁いで1年目は、
「三島うど・・変わった食べ物。まずくもないがおいしくもない。」
それくらいに思っていました。
が、不思議。。
2度、3度と食べているうちに、
「すげーおいしい。もっと食べたい。」と中毒化するように。
(だいたいみんな同じ末路を辿るらしいから怪しげな成分が含まれていないことを願う。)
だから最後の三島うど農家さんから「そろそろ歳だから辞めようと思う。」
という話を聞いた時、
「このまま食べられなくなるのはどうしたって避けたい。」
そう思ったのです。
しかし、周りに三島うどを伝承していけそうな若者はいない。
(なぜなら、高齢化が深刻な地域・・)
そして、2014年夏。
「じゃあ、私たちがやるしかないよね~」
と就農を決意。
夫は師匠に弟子入り。
私が妊娠したので産まれる前に始めなければ!と
その頃にはすっかり三島うどの虜になっていた夫も
慌てて辞表を出し、2015年から本格始動しました。
ちなみに、この頃私は仕事をしていなかったため、
三島うどの収穫までには1年以上を要するにも関わらず、収入の目処は0。
「本気でやったらお金はどうにかなる。
でも三島うどは一度途絶えたらもう戻らない。」
そんなことを言って会社をやめちゃった訳だから親、親類をかなり困惑させたよね笑。
ちなみに新規就農者への助成金制度もあったけれど、
「あなたたちは農業の経験もないので、支援できない」とあっさり却下。
でも、運と人に恵まれていたお陰で、私のもう一つの「志事」だった「地域活性化」の仕事で食べていけるように。
お陰様で、夫は三島うどの生産に集中でき2016年2月にいよいよ初収穫を迎えます。
(息子も無事出産できました~)
綱渡り状態だったけれど、何とか大きな一歩を踏み出すことができました。
私たち夫婦は「三島うど」に人生をかけました。
そして師匠、家族、友人、地元の人、ファンの人みんなが「三島うど」を守ってくれました。
だから「三島うど」をメジャーにしてやりたくて、今年はいろんなところで発信させてもらいました。
そして、ちゃんと「三島うど」で食べていける環境を作り、次の世代につなぎたいと思っています。
(元記事:中井大介・優紀 2015.12.24)
・田子町中で、おそらく最年少農家
2014年3月に青森県の田子町で新規就農しました。
母方の祖父母がにんにく農家で、祖父母はいいにんにくを作る農家と評判でした。小さい頃は、休みとなればにんにく畑で遊んでいました。遊びながらも、祖父母の農作業を見ていたことが今、あぁやってたなぁと思い出し作業している毎日です。
両親は会社に勤めていて、農家の息子というわけではありませんでした。
就職先は関東。都会に憧れる田舎の青年でした。仕事は建設業、飲食店と点々としてました。
2010年3月、祖母が亡くなり、10月には親父の病気が見つかり余命2年とのこと。
母は祖父母の看病に続き、次は親父と。その時に4才年上の東京に住む兄と兄弟会議。兄は帰るつもりはないとのこと。自分が帰ろうと決めました。
田子町中で、おそらく最年少農家。あえて大規模にしない。小規模農家の可能性を引き出し、価値あるものにしていきたい。新規就農し2年目、今年から自然栽培に挑戦。数年後には、すべてのにんにくを自然栽培で行うことを決意し、現在挑戦中です!
【夢・やりたいこと】
①農家ってカッコイイなと興味をもってもらい、農家になりたいと言ってくれる人が出てきてくれること
関東にいるとき、テレビなどで地元、田子町をみる機会が度々ありました。テレビで見る度に「地元にはにんにくという誇れるものがあり、自分も何か地元に貢献できないか?」と考えることがありました。
田子町に帰郷し、農家になり自分を知ってもらい
「農家ってカッコイイな」と興味をもってもらい農家になりたいと言ってくれる人が出てきてくれたら、嬉しい限りです。
大きい目標はこれですね。
② 仕事も遊びも精一杯楽しむこと
まずは農業で稼げる事ですが、それからお金と気持ちの余裕ができて、趣味が充実してその姿を見てもらえれば「農業カッコイイ!その上楽しそう!」につながるかもしれない。そうすれば農業に興味を持ってもらえるかもしれない。それが農家をやってみたい!につながるかもしれない。
そうやって農業のイメージを変えたい!
③農薬・肥料・除草剤を使用しない、自然栽培でにんにくを育てること。
「人の身体は、食べ物でできている」だからこそ、【安心できるもの、自然そのもの、本来の味】を届けたい。
(元記事:宮村祐貴 日本食べるタイムスプロフィール)
・新規就農者にとっては励みになります
鶴岡市農業委員会主催の3者交流会。
農業委員、山形大学農学部生、新規就農者の3者で圃場見学や、そこから見えた課題を話し合う研修会を行いました。
企画段階で僕のとこに案が無いかと依頼が来て、先進地視察もいいけれど、新規就農者の圃場視察もいいのではないか。
みんなから圃場見られることが新規就農者にとっては励みになりますよ。
ネットワーク構築の助けにもなりますし。
と、農業委員会に提案したもの。
農業委員の先輩方から経験に裏付けられたアドバイスをいただき、また新規就農者の新鮮なアイデアに触れ刺激にしていただけたようで。
学生達の良い意味で素人目線の質問に改めて気づかされたことも多く、また学生は滅多に触れることがない実際の現場に足を踏み入れ、何かしらの気づきになったようで。
提案すればこうやって実現する。
提案しなければ実現しない。
その提案の機会をいただけるのも、一つのご縁。
僕は本当にご縁に恵まれているのだなと感じました。
これからまた色々仕掛けて行こう(^-^)
余談
大学生を見て、若いなーって感じるようになってしまった、、、。
普段は僕が若手だけど、オチオチそれに甘えてもいられないなと思いました。
(元記事:鈴木俊将 2015.10.26)
・春近し
3月で就農して1年が経ちます。あっちゅうまでした。
これくらい月日が早いのは、大学生活以来でした!
さらに、あのころより情緒が安定していて、(色々な)悩みが少ないように感じます。
ここのところは、3月からの一年、また、新たな気持ちで臨めるよう必死で負の遺産(今年度中にやっておこうと思っていたこと)を片付けている最中です。
まずは、ハウス内の暗渠作り。次に、鶏舎作り。(中略:詳細はこちらの記事へ)
米の乾燥機も一部、解体しました。
結構解体には時間がかかります。
また、鉄製で結構重いので、解体には十分注意が必要です!
身体の危険という意味では、就農後、最大のニアミスがありました。
乾燥機の一番上についている循環籾排出レール(写真の下のバーのような部分)を取り外す一工程前。
まだこのレールが落ちてこないだろうと作業している最中に、
突如「ガスんっ」とこのレールが落ちてきて、左手が、排出レールと乾燥機本体の上部枠に挟まりました。
ただ、危機一髪、排出レールが乾燥機外側の出っ張りの部分につかえて、全加重が左手にかかることはありませんでした。(小指から人差し指の間の甲の長さが8cmとすると、奇跡的につっかえた隙間は7cmくらいでした。)
排出レールが思ったよりもだいぶん重たかった(20kgくらいあり、落ちてきたときに、片手で支えられるようなものではなかった)ことに、恐怖を感じました。
落差も40cmくらいあったので、もし挟まっていれば、複雑骨折とかになっていたのではないかと思われます。
原因は、私の不注意、横着、気の弛み、想定の甘さなどでした。
はじめての解体であり、もっと注意する必要がありました。
解体は、二人以上でやるのがベストだということがあらためてわかりました。
この乾燥機の持ち主だった方や、この地域の祖先の方々が、私を助けてくれたんだと思いました。
健康第一、安全第一を、肝に銘じました。
一大事となれば、多少のお金のロスや時間のロスなんかとは、比べ物にならない代償をはらうことになります。
こういうのを運というのだとすれば、人生、運は、すごい大きな部分を占めていると思います。
今回も運がよかったですが、運を頼りに生きるのではなく、このような危険がおこらないよう、注意をして生きていかないといけません。
健康が第一!!
(乾燥機解体での教訓;けんたろう農園の日誌から抜粋)
2月もあと3日、気持ちよく3月のスタートをきれるよう溜まっている仕事を全力で片付けたいです。
冬の山 無性に楽しい 山仕事
(元記事: 荒木健太郎 2016.2.27)
・3年生のお前がナニ調子こいとんねん
冷静になって考えてみろよ
牡蠣養殖をやり始めてまだ3年生のお前がナニ調子こいとんねん
初心忘るべからずや
一番最初を思い出せ、俺。
それを気付かせてくれる人がいるってことはすんごく有り難い。
「相手に嫌な思いをさせるかもしれない、自分が嫌な思いをするかもしれない」のにもかかわらず、そこに踏み込んで意見してくれる人がいるってのは本当に有り難い。
多謝。
競争して1番になるより
協同して1つになる方が楽しい
あぁ知ってる。
うん解ってる。
働きすぎなんて承知の上。
百何十連勤とかバカじゃねぇの?って思う。
特に欲しい物も無いのにさ。
でも楽しいんだからそれでいいじゃねぇか。
(元記事:木村勲 2016.2.19,2.25,3.3)
・『師匠』とは
『師匠』とは
目指すべき存在ではなく
超えるべき存在だと思う
(元記事:木村勲 2016.2.9)
どの記事からも皆さんの熱い思いが伝わってきます。
ハッとすること、納得すること、感動すること。
それら全てが「初心」なのではないでしょうか。
一年はあっという間です。
その「初心」を持ち続けながら、2016年の春を迎えてみませんか。
この季節に、一次産業に加わりたい!という方々を日本食べるタイムスは応援します!
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