【まとめ】東北の地から「いのち」を再考する

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たくさんの尊い人命が失われた未曽有の震災から、5年が経とうとしています。

普段、私たちは「食」という営みを通して数多くの「いのち」をいただいていますが、食卓にあってそのことは見過ごされがちです。

しかし、農や漁を生業とする人びとの姿やことばには、時に大切なそのことに気づかせてくれる力があると、私たち編集部は感じています。

今このときだからこそ、東北の地のことばから「いのち」を再考してみませんか。


・○○づくりに思うこと

牛

 

 

 

 

 

 

 

ここに書く事は、あくまでも私の主観で、攻撃も批判もするつもりはありませんので

「細けえコト言ってんなぁ」くらいで読んで下さい。

「○○作り」って表現は農業でよく使いますよね。
土作り、野菜作りなど等
これを畜産で使われた時に、スゴく違和感を感じてしまうのです。
「牛作り」「~なお肉を作っています。」

ん~…
確かに、大きな意味では間違いではないんですが
畜産は、命の恵みを頂いている生業だと思っています。
どんなに科学が進み、知識と努力で、需要に向けた狙い通りの肉質にする事が出来たとしても
生産者が、命を生み出している訳ではないし、お肉を作り出している訳ではないと思います。
先の表現を使ってしまった時、あたかも人の力で全てコントロールしている様な印象を受けます。

お肉は工業製品ではありません。生き物です。
命は、人の思惑など意に介さず、不完全でありながら完成された不思議を感じます。
どんなに手を尽くしても助けられない儚さ
手の施し様もなく諦めたものが回復する生命力
そういう事を現場で目の当たりにすると、人が出来る事など些細で、
コントロールしているなんて傲りは吹き飛んでしまいます。

漫画ブラックジャックの本間先生の名言
「人間が、生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね…」
畜産業をしている限り、この言葉は常に心に留めておきたいと思っています。

だからと言って、技術の習得や努力を諦めるという意味ではありません。
出来る限りの事はした上で、命に対しては謙虚であるべきだと思います。

という事で、自己紹介の時には
「久慈市で短角牛を育てています~~。」
と言う様にしています。

これがもし
「こういう短角牛はオレしか作れない!」
などと居丈高に宣っていたなら
「サーロインの角に頭ぶつけて死んじまえ!」
と罵って頂きたいとお願い申し上げます。

(元記事:柿木敏由貴   2016.02.05)

 


・時代に逆行して今日も魚、明日も魚です

最近、魚の動きが悪く
いいネタがないので、こんな話を一つ…

今冬、陸奥湾では、鱈が豊漁でした。
1月の初めで水揚げ200トン超え…

鱈の産地
下北地方のむつ市脇ノ沢地区では、
白子や卵の入った腹がパンパンの鱈が
大量に水揚げされました(下手な地図ですいません…)。

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しかし、私の住んでる津軽半島外ヶ浜町蟹田は、産卵終了後の腹のげっそりした
鱈のほうが多くなりました…

まさに、市場に出荷しても採算とれない
未利用魚です…

なぜかは、
学者でないのでわかりませんが…
どうやっても、
潮流の影響だと思いますが…

刺網漁に出漁するたびに、
70匹~100匹程掛かってます。

最初は、お世話になった方に配ったり
欲しいという方がいて
なんとか全て処理できたのですが…

前回からは、余ってしまいました。

私も命を無駄しては、いけないと思って毎日食べてますが、さすがに…

産卵後なので、身の質が…

なので、
寒風干しやり始めました。
写真は、ごく一部です…

まだ、食ってませんが…

市場の業者いわく
昔は、一家庭でも鱈は一本買いが普通でしたが
今は、ほとんどないそうです。
もらって、困る家庭もあるそうです…

時代が、違うと言えばそれで終わりですが…

私は、時代に逆行して
今日も魚、明日も魚です…

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(元記事:高森優 2016.2.8  )


・値段のつけようのないまぎれもない命

今日は二回目の大人の食育をした。

生徒は自分自身。

ニワトリを育てている農家として、そして人に食育を教える立場として、この道はやはり何度も通らなくちゃいけないと思う。

今日、命を頂いたのは二羽。

前回も二羽で、一羽をじいちゃんが、もう一羽を自分がやったけど、今回は二羽とも自分でやることにした。

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小屋の中から捕まえるとき、前回よりもニワトリ自体が成長しているせいか、捕まえられてからの鳴き声が、鳴き声ではなく泣き声になっていて、決意した気持ちが揺らぎそうなほどだった。

それでも二羽の羽をしっかり紐で結び、いつもの山まで連れていった。

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今回はまだ慣れてない自分のためにと、じいちゃんがニワトリの首を紐で縛り引き伸ばすようにして、ナタで首を落としやすいようにしてくれた。

でも逆にその光景が、ナタを降り下ろすまでの一歩を余計に怖く感じさせて僕の足を止めた。

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やっぱり二回目でも怖い。

毎日のように食べる肉なのに、自分で用意するのは怖い。

それでも今日は、手際よくやれない自分にもどかしさを感じながらも、やるしかないと覚悟を決めてナタを降り下ろした。

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でも降り下ろせば、ハイそれで終わりではない。

命が消えるまでもがくニワトリを、じっとこの目で見なければならない。

この光景もまた、僕にはまだ辛いものだった。

それでも休む間もなく次もやらなくちゃいけない。

今日は二羽とも自分の手で命を終わらせて、山から家に連れて帰った。

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家に帰ってからはお湯をかけ毛を抜けやすいようにして、また前回同様じいちゃんとさばいていった。

愛情をもって時間をかけ育て、怖い思い、辛い思いをしながらようやく手にできるお肉はボウルにたった二つだけでしかなく、僕は少ないと感じてしまう。

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家族で食べれば三食か四食分しかまかなえないと思う。

だからこそ夕食に並ぶ今日の肉は、値段のつけようのないまぎれもない命だと感じ、改めて命を頂くことは本当に尊いことだと考えさせられた。

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 ・自分で用意する食事は人間を成長させてくれる

今回も前回同様、先日命を頂いたニワトリ二羽のお肉は料理され、残った部位と骨たちは鶏ガラスープとしてラーメンになりました。

このラーメンはやっぱり旨い。

ダシをとり終えて残った骨たちも、わが家の畑へと還っていきます。

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無駄なものなんて何一つないし、無駄にしていい命なんて一つもない。

命が消えてからも骨は畑の肥やしとなり、次の植物の命に汲み込まれる。

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この植物もやがて食べられ別の命に汲み込まれる。

命は終わりがありそうで終わりがない。

先人たちがたくさんの神々を身近に感じて生きていたことも、今なら少しずつわかる気がします。

それほど自分で用意する食事は人間を成長させてくれる。

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・料理人と農家の壁が崩れた日

昨日は友人であり仙台で串焼き屋を営む鳥卓(とりたく)のオーナーが大人の食育に来てくれました。

料理人として、毎日鶏肉をお客さんに提供する者として、鶏をシメるところから体験したいとのことでした。

うちとしても、大人の食育を見てみたい方は言ってくださいとはよく言っているのですが、やりますと名乗りをあげてうちまで来たのは彼が初めてでした。

「鳴き声が泣き声に変わる」

とは以前私がやったときの体験談ですが、どうやら彼にもそう聞こえたらしく一瞬ためらっていましたので、僕だけの感覚ではなく本当にニワトリは捕まえられて外に連れて行かれるときに、これから命を奪われるということをわかるんだなと感じました。

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今回もいつもと変わらず山へ連れていき、用意していたナタで命をもらう手順。

前回と違うのはナタを降り下ろすのは僕ではなくて、串焼き屋として毎日鶏肉を扱っていながら、命を終わらせるのは今日が初めてという彼自身。

ナタを降り下ろす前に、僕はしつこいくらいナタを当てる位置や、力をしっかり入れて下ろすことを説明しました。

不安や恐怖で力があまり入らないままナタを下ろせばニワトリが苦しむ。

綺麗事と言われるかもしれないけど、せめて楽に逝かせてやるのがやる側が守ることだと思う。

それでも初めてなものですから、結果として二回、三回とナタを降り下ろすことになりましたが、やはり料理人といったところか、恐怖心のようなものは僕が初めてやったときより断然克服していたようでした。

血抜きを山で済ませたら、わが家へ持って帰り台所の外で羽をむしりながらさばきに入ります。

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ここからは僕が習うくらいで、お見事な包丁さばきで部位ごとに分け、あれよあれよという間に串焼きの下準備が出来てしまった。

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部位ごとに分けられたお肉を見て、さっきまで不安や恐怖を感じてたのが嘘のように、僕も彼も正直に「うまそう」という感情に変わっている。

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この日は妻ではなく料理人の彼に調理してもらい、皆で串焼きを食べました。

彼の「今日は来てよかった」の言葉に、僕としても料理人と養鶏農家との壁が崩れたような日になった気がして、開催してよかったと思えました。

今までずっと、生産者がどんな人物なのか、生産者の育てるニワトリはどんな肉なのかを表面しか知らずにいた料理人と、料理人はどんな人物なのか、料理人はどんな想いを持っているのかを表面しか知らずにいた生産者。

まだ肉や卵を直接取り引きした事はなかったけれど、改めて話し合いまして、来週から本格的にうちの卵をお店で使ってくださることも決まりました。

命を通じて、生産者や消費者が繋がり、料理人まで繋がってくる。

求めていた流れが、少しずつこの地でも生まれ始めていることを実感できる一日となりました。

(元記事:菊地将兵  (2015.12.07/2015.12.11/2016.1.26)

※編集部注※ 菊地将兵さんの「一回目」はこちらからご覧頂けます。

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➤このライターのプロフィール
畜産農家 岩手県久慈市山形町
農家, 畜産農家 福島県相馬市
漁師 青森県東津軽郡外ヶ浜町