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農家・漁師紹介

長田 隆弘

東京都八丈町

【父と息子】

八丈島の北東約二七海里には、父が見つけた「カンテツ山」という漁場があります。その名の通り、父の船は貫徹丸。19tの船主でした。 30年前、全く獲れなくなった春飛魚を追いかけ、小笠原まで出漁したこともある根っからの漁師です。子供の頃の私は酒を飲んでは父に文句を言う漁師が嫌で嫌でたまりませんでした。長男故、両親が納得してもらえる仕事は?そんな事をずっと考えていました。

【北海道での挑戦】

小学生の頃、親戚の兄貴達が海に潜りおやつ代わりに食べたフクトコブシを増やそうと、東海大学海洋学部に進学。研究室ではアワビ、ウニの生態等を学びました。就職活動もせず研究室で卒論に励んでいると一本の電話が。「おい、北海道でアワビの仕事があるぞ。5分で決めろ。」10秒後には、北海道就職が決まりました。当時の北海道では厳しいと言われた無加温でのアワビ越冬飼育。それが私の使命でした。ところがみなさんの意見は「無理だ。」「やり方を変えなさい。」と一方的なものでした。なぜ反対するのだろう?「これまではダメだったかも知れない。でもチャレンジして何が悪いのですか!」「君のチャレンジのために、何億円のお金を使うわけにはいかない。」この言葉は北海道にいる間、ずっと忘れることができませんでした。それでも涙を流し訴え続ける私を、見るに見かね「もー泣くな、俺も協力するから。」それが社会人1年目のことでした。アワビ生産量が道内で一位になったのは7年後でした。それからアワビ、クロソイ、クロガシラガレイ等の種苗生産や増養殖を手がけました。応援してくれる仲間も増え「5年後には、北海道太平洋側に栽培センターを50億で建設する予定がある。その時は所長で迎えるから残ってもらえないか。」道庁の水産部長さんからは「増毛を離れても良いから、北海道に残れ。」と。初めは一人でしたが、たくさんの方に声をかけて頂き、自分の人生において無くてはならない11年を過ごさせて頂きました。「そろそろ帰ってこないか。」両親からの想いもあり帰島。父の船は小笠原がきっかけで買い手が見つかり、くさや加工専業となっていました。

【くさやへ懸ける想い】

これまでの経験から早速、くさや液について研究。くさや菌の発酵を考えました。職人気質のくさや製造は、加工場によりそれぞれ異なります。くさやの理解が深まるよう「くさやのあいうえお」という冊子をつくり各加工場に配布。「我の方が詳しきゃ。」そんな声も聞きましたが、経験や勘で伝わるくさや製造を残して行くには今後必要なことと続けました。八丈島のくさや製造は、大正7年、八丈現業場の「塩抜きをするくさや」から独特な製法に変わっていきます。全国で3番目に雨が多く水と漁場に恵まれた八丈島だからこそ製造できる新鮮でにおいマイルドなくさやは、初めて食べる方にくさやの違和感を少なくし「美味しい。」と言われます。ただ私が帰島した際、お客さまの年齢層は両親の年代以上でした。近い将来、くさやは売れなくなる。そんな危機感ではじめたのがネット販売。当時はまだ電話回線でした。2003年夏。孫正義氏が八丈島に来ます。「子供達のために(インフラを)お願いします。」当時はその様な言葉を発する方は少なかったので、「それを言われると弱いんだよな~」と壇上から降り握手をしてくれた孫氏。翌年、全国の離島で一番最初にYahoo!BBが設置されました。私自身も島のパソコン普及のため、町の協力を得てボランティア講師を勤めました。

【家族という存在】

わが家の子供達は小学校に入学すると、春飛魚の白子取りからスタートします。「手が冷たかった。でも最後までお手伝いできて良かった。」と当時、娘は書いてましたね。夏休みになると解禁された小ムロの干し作業や水ため作業。中学生になると包丁を持ちエラと内臓除去。そして高校生になると飛魚の製造。卒業するとみな島を離れていきます。生後間もない頃から一緒にいられる家族経営は、北海道では得ることができなかった経験でした。そんな子供達のおかげで、学校授業で加工場に来る児童、生徒も多くなりました。小学校入学時、「お腹空いた~くさや焼いて!」と帰宅する娘。翌年、娘の同級生は、お店の玄関で「くさい!」とドアを閉めてしまったお客様を見て、「いい匂いなのにね。」と語りかけてくれました。

【島の守り続けたい文化】

それまで文化という意味がよくわからずにいましたが、これが島の文化なんだと気づかされました。そんなお話しを見学に来られる方にしていると、2013年筑波大附属小学校の子供達から電話をもらいました。ちょうどその頃、社会科の授業では「八丈島でくさやづくりを営むOさん」が行われていました。合計11時間の授業を経て、子供達は「八丈島」「くさや」はもちろん「伊豆諸島」のことまで調べてくれました。テレビキャスターの小山慶一郎くんが当店のくさや液を「臭い」と紹介すると、視聴していた子供達は、「香りだけでなく、もっとくさやのことを伝えるべきだ。」「僕たちの方がくさやのことを知っている。」と。また教室では「私たちがこうやってくさやのことを学んで、家族と話して…。このことが長田さんの願いの一つをかなえているんじゃないかと思った」と。子供達に八丈島を深く知ってもらうことは、島の財産になります。島だからこそ、できる事、学べること。そこに未来があると信じてます。「毎年4年生で八丈島のくさやづくり・七輪体験が定番になってきました」と先生から連絡が。嬉しいですね。全国の小学校で、七輪でくさやを焼きながら「くさ~い。」なんて声が響いたらどんなに楽しいでしょうね。そんなささやかな夢をいつか実現したいです。

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