【うみやま記】浅尾大輔(養殖漁業者・三重県鳥羽市)

in 三重/編集長「うみやま記」/農家漁師にインタビュー/近畿
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浅尾大輔(36)/ 三重県鳥羽市 / 養殖漁業者 / 牡蠣、アサリ、ワカメ、アカモク、焼き牡蠣小屋経営

漁師と呼ばれるのがしっくりこない。養殖漁業者という肩書きに誇りとこだわりがある。「天然ものをとる漁師の経験と勘はすごいが、自然頼みで不安定。ウチら養殖漁業者は海の理を利用し、海と相談しながら水産物を育て、より安定的な生産をしている」。そう言ってはばからない。

警察官の息子として大阪で生まれた。高校卒業後、自分が本当にやりたいことを探すために自転車などで日本中を数年間放浪した。各地で飛び込みの仕事につき、様々な職種の経験を重ねた。大阪に戻り、派遣の仕事を転々としていたところ、鳥羽に隣接する伊勢志摩のホテルで一緒に働いていた今の奥さんと出会った。鳥羽出身の奥さんの祖父や親戚が牡蠣養殖を営んでいて、海の世界の魅力に引き込まれた。「この海の風景の一部になりたい」。29歳だった浅尾さんは一念発起し、ドラム缶をぶった切った焼き台のみで焼き牡蠣を売り始めた。その後、漁業権を取得し、本格的に養殖漁業に取り組んだ。

漁協に出さない漁業者たち

浅尾さんが所属する鳥羽磯部漁協浦村支所の牡蠣養殖業者は、それぞれ育てた牡蠣を自分の名前と屋号で販売している全国的にも珍しい浜だ。漁協には一切出さないが、決して漁協と漁業者が対立しているわけではない。漁協は、約1250枚ある筏の漁場料収入で経営は安定している。自分の名前で販売でき、自分で値段を決められる漁業者たちのモチベーションは高い。生産から受注、箱詰め、発送、伝票管理、加工、営業、販売、ぜんぶ自分でやる。牡蠣の養殖漁業者は74人いるが、約30軒はそれぞれ独自に焼き牡蠣小屋を地元で直営している。シーズンになると観光客がバスで押し寄せる。「その地域の特色を活かしたこういう小屋があれば、都市住民が幹線道路から集落に降りてきてくれる。目の前で食べてもらえれば、感想もダイレクトに聞けるし、直接交流することでファンもでき、リピーターを獲得できる」。

牡蠣を主力に、アサリやワカメの養殖販売、同時にアカモクの加工販売もしている。これまで牡蠣種の生産は東北に依存する受け身のユーザーだったが、震災後、東北種が高騰して入手も不安定になったことをきっかけに、自分たちで育苗を始めた。浦村の海で育てた牡蠣はあっさりした甘みがあるので、大きさより味重視で1年ものを出荷している。浅尾さんは、全国各地の牡蠣の生産地連携がもっと必要だと感じている。「山々から豊富な栄養が湾に流れ込み、おいしい牡蠣ができると、どの地域のパンフレッドにも書いてある。これでは、牡蠣の消費量を増やすことはできない。牡蠣の味は地域や季節によってぜんぶ違う。だから、お客さんの好みに合わせて、産地を追いかけてもらうようにしないと。塩っ気が好きな人は、今月は浦村だけど、来月はあっちの地域だよと、俺は言っている。結局、全体がよくならないと自分たちもよくならないですから」。

牡蠣殻という魔法

近年、特にも力を入れているのが、アサリ養殖だ。ここ数年、全国各地でアサリの漁獲量が減少している。1980年代からこの減少傾向が顕著になり、今では30年前の5分の1にまで激減した。背景には、海や干潟の環境悪化がある。開発に伴う工業用水や生活雑排水が流れ込み、還元層という黒い土が海底に堆積するようになった。排水に多く含まれる有機物は分解されるときに酸素を必要とするため、還元層では酸素が不足し、その影響で酸性の有毒な硫化水素を発生させる。これがアサリの生育を妨げていた。

ところが、全国的な不漁が続く中、浦村はここ数年、アサリの漁獲量を伸ばしている。「これですよ」と、浅尾さんが筏の上から長い棒で引き上げて見せてくれたのは、縦60cm、横30cmの青いネットだった。その中に詰められていたのは、砂利と直径数ミリの白い粒だった。ネットを開け、手でじゃりじゃりまさぐっていると、その中からアサリがいくつも出てきた。「砂利とこの白い粒を入れて、海底に置いておくと、勝手にアサリが入ってくるんです」。

白い粒の正体は、牡蠣養殖で大量に発生する牡蠣殻を粉砕してつくったケアシェルと呼ばれる物質だった。適度なアルカリ性の牡蠣殻には、硫化水素の毒性を弱める働きがある。これまで、アサリがほとんどいなかった浦村の海だったが、実はいなかったのではなく、海の中で産卵し、ふ化したアサリの赤ちゃんが干潟に辿き、成長する前に硫化水素によって死滅していたのだ。「今も浦村の海にはアサリを育てる能力はないが、あのネットの中だけは生育環境が整ったので、アサリが育つようになった。このネットを2800個、浜にただ置いてあるだけで、その中でどんどんアサリが育つ」。

さらに、より大きくアサリを育てるため、ある程度の大きさになったアサリを別の漁場に移動させ、筏から水中につり下げる垂下式養殖で育てている。水温、塩分濃度、酸素濃度、栄養分を定期的に調べ、一番アサリが育ちやすい海中環境がどの高さにあるかを見定め、その都度、アサリを入れた箱を上げ下げしている。浅尾さんが海中から引き上げた箱の中には、立派なアサリがゴロゴロ転がっていた。「おもしろうて、おもしろうて、たまらん。なんでみんな漁業せいへんのと思う」。

ノウハウ広げる伝道者

浦村アサリ研究会代表を務める浅尾さんは当初、この新しい養殖法を他の浜に秘密にしようと思っていた。周りの漁業者たちも、「外に広めるのはやめよう」と言った。しかし、思い直した。海はつながっている。この浜だけよくなるということはありえない、と。浦村がある伊勢湾は半時計回りに潮が流れていて、産卵したアサリの幼生が浮遊し、浦村に辿り着いている。だから、「他の浜のアサリ資源も枯渇したらいかんだろ」と、他地域の漁業者たちにこの養殖方法を伝授し始めた。そうして、この養殖方法を全国に広めるため、自分で各地の漁協を巡業し、普及していった。今では、23道県に広まり、年間100件の視察を受けいている。

また、子どもたちへの環境教育、食育の一環として、このケアシェルネットを使ったアサリ養殖の体験学習も実施している。地元の浜でアサリを採って食べる、というただの体験学習ではない。参加する子どもたちの多くの家庭は牡蠣養殖業者で、自分たちの親が出した牡蠣殻を再利用して行われる取り組みということもあり、改めて地元に対する思いや水産業への気持ちの高まりを見せている。

養殖漁業の他、一丁六反の田んぼで米づくりもしている。田んぼの栄養豊富な水が海に流れ込むことで、汽水域(川が海に注ぎ入れる河口部の海)、つまり養殖漁業をしている海が豊かになり、漁獲量をあげる可能性があるからだ。米麹もつくり、味噌もつくっている。その味噌で牡蠣の土手鍋もつくり、お客さんに振る舞う。また、養殖筏の材料に、三重県産の檜木(ひのき)の間伐材を使うことで、牡蠣の餌となる養分を生み出してくれる山の荒廃を防ごうとしている。さらに、牡蠣の稚貝をつかまえるためのホタテの殻の採苗器(コレクター)づくりを地元の障害者施設に委託するなどの水福連携(水産と福祉の連携)を展開し、地元に貢献している。

ぼくは「型(かた)」をつくりたい、と浅尾さんは何度も口にした。生産、営業、ネット販売、飲食店運営、牡蠣祭りなどの食のイベントを県内外で開催。この型ができれば、どの地域でも、そこにある食材で同じことをやれる。「今、日本は首都圏にたくさんの人口が集中し、田舎は過疎で苦しんでいる。心臓がバクバクしているのに、手足に血が流れず冷え切っている冷え性の状態。人やお金の流れは血流。もっともっと都会の人たちが農漁村に足を運び、行き来が増えれば、手足に血が通い、冷え性の改善になる。日本のはじっこに人がいくと、日本中は元気になる。みんなわかっているのに、どのようにやればいいのかがわからない。だから、テキスト代わりの型が必要で、それをつくっている」。

史上最年少で天皇杯

実際に都市住民に訪れてもらうためには、「食」だけではなく、「体験」も大事だと考えている。これまで、漁業者は食べものをつくって売ることしか考えてこなかった。自分たちは食べものをつくる漁業者として、もっと誇りを持たなければならない。この漁業者に会いにいきたい、話を聞きたい、現場を体感してみたいと思わせなければならない。つまり、自分たち自身に価値づけをしていく。その価値を売る。それだけ自分に自信があると、きっぱり言い切る。お客さんを船に乗せて、波に大きく揺られると、みんな生き生きした表情になる。「この海は、テーマパークのアトラクション以上の価値がある」。その価値を体感し、理解してもらうことで、結果として水産物の価値も上がる。

浅尾さんはなぜ浦村にとどまらずに、全国の漁村の立て直しを考えるようになったのか。2年前の農林水産省主催の第52回農林水産祭式典で、最高の栄誉である天皇杯に、浦村アサリ研究会が選ばれた。代表の年齢としては史上最年少の受賞だった。皇居で行われた授与式で、天皇皇后にご拝謁した際、「日本の水産業をお願いします」と、激励された。「日本の水産業を任せられたという気分になった」浅尾さんは、一層、漁業界全体の底上げにを考えるようになったという。

日本の漁業は長らく、漁業権に守られ内に閉じ、新しい風が吹かなかった。結果、古き良き時代の日本の風習や伝統、文化、言葉は残ったが、それ以外は他の分野に大きな遅れをとった。安さ競争に走り、値崩れし、乱獲し、資源が枯渇するという悪循環。水産資源が昔より獲れなくなったのだから、少ないものをどう増やして価値を高めるかに、頭を切り替えなければならないのに、その時代の変化にまったく追いついていない。資源管理をしながら、今あるものに価値を見出すいい意味での競争を漁業界にどんどん入れていかなければならないと考えている。「ぼくら若手ですけど、あつかましくもこの考えを全国に広めていきたいと思っている」。浅尾さんは、ひとりではなしえない新しい取り組みに仲間と共に挑んでいる。他の地域の若手漁師や地域おこし協力隊、流通業者たち8人と「絶滅危惧種の会」を結成し、アクセルをさらに踏み込もうとしている。

(元記事:2015.10.20)


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