伝統野菜に懸ける相馬農業復興への想い

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農家, 畜産農家 福島県相馬市

もしかすると今日は僕が生まれ育った福島県相馬市が変わる日かもしれない。

ずっとずっと探してました。

何度も探しては見つからず、挫折してはまた探しての繰り返しだった相馬市の伝統野菜を見つけたかもしれない。

見つけたではなく、見つけたかもしれないと曖昧にしか言えないのは、もはや史料として記述が残っているだけで、現物の写真すらまともに残っていなかったからだ。

相馬市に昔から住んでいる人でも、名前すら聞いたこともないと言う。

昭和47年から52年にかけて、相馬市が唯一相馬市の野菜として扱っていた在来種と呼ばれる相馬市伝統のサトイモ。

『相馬土垂(そうまどだれ)』

福島県の農業普及所の先生方にも問い合わせたし、相馬市の農業の先生方にも問い合わせた。

昔からあるタネ屋にも問い合わせたし、あちこちの昔からやってる農家さんに何年も聞いて回ってました。

何年も探して驚いたのは、相馬市管轄の農業普及所の先生方たちでさえ、僕が相馬土垂の書類を見せるまで相馬土垂を知らなかったこと。

先生方にも探してもらいましたが、もはや古すぎてその時代を知っている先生方は全員退職していたこと。

唯一先生方に探してもらった情報からわかったことが、今から20年ほど前に、福島県の伝統野菜の種を集めて未来に向けて保存しようという活動があったときに、この相馬土垂は見つからなかったということらしい。

つまり、20年前にはもう誰が持ってるかさえわからなくなっていた幻の伝統野菜なんです。

40歳をこえるベテランの農業の先生方にさえ、相馬土垂はどんな色なのか、どんな形なのかと聞いても、よくわからないという答えしかなく、これを見つけるなんていうのは本当に雲をもつかむような話だった。

それでも諦められなかったのは、唯一の書類に、農家が自家採種で保存している可能性はあると書かれていたことと、これを見つければ相馬市で有機栽培をやることに大きな希望が見いだせると思ったから。

震災後、ずっと有機栽培に進みたいと思っていた自分にとって、どんなに無農薬でやっても放射能という言葉に勝てず、良いものというイメージを付けられなくて苦しい思いをした。

相馬市という地名さえ、ずっと隠したいような言葉になっていた状況の中で、相馬市だけにしかない伝統野菜を復活させられたら、全国に胸はって相馬市のラベル貼って有機栽培でやっていけるようになると確信してた。

だからこそ探した。

何年も探して希望が見えたのが今年の10月。

先生方がようやく見つけ出してくれたおじいさんが、相馬土垂を栽培していた経験があると言ってきたのだ。

これを聞いて本当に光が見えた。

相馬土垂の形も、色も、このおじいさんは見れば相馬土垂かどうかわかると言った。

僕はそれからまた必死にあちこちまわり、おじいさんから聞いた特徴に合うサトイモを探して回った。

そして11月25日の今日、ついにその特徴に合うサトイモを相馬市のとなりの新地町で見つけ、生産者のお婆さんのところにすっ飛んで行った。

お婆さんにサトイモの名前を聞いたところ、昔からずっと種をとって来年またその種を植えるの繰り返しだから、品種の名前はわからないと言われた。

ただ、このサトイモの始まりは何十年も前に相馬市の親族の農家から譲り受けたものだと言われ、僕は可能性はかなり高いと感じてあのおじいさんの元に見てもらうため持っていった。

そこでおじいさんがこのサトイモを見てくれて言ったのが、『これは相馬土垂で間違いないと思う』でした。

1126大野村農園②

100パーセントではないかもしれない。

でも、可能性はかなり高い。

というか、この他にはもうないかもしれない。

来年この種をうちの畑に植えて、改めてまた正式に相馬土垂かどうか確認してもらおうと思う。

何年かかっても、僕は必ず相馬市の伝統野菜を復活させる。

復活させたらもう二度と書類だけの産物にならないように守りぬいて、次の世代にしっかり渡す。

そこまでやれたら、僕は相馬市の農業は復興したと叫びます。

どうか皆さん、相馬土垂を食べれる日をお待ちください!

(2015.11.26)


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