「野菜は工業製品ではない」というけれど:竹林諭一(農家・大分県由布市)

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農家 大分県由布市

僕は大分県由布市で竹林畑という農園を営む野菜農家です。一年を通し40品目の野菜を有機栽培で作っています。うちは業者さんへの卸販売が主な販売方法ですが、有機農家全般では野菜セットなどによる個人への直接販売が主流だと思います。

 

これを読んで下さっている方の中には、野菜セットなどで農家さんと直接取引した経験がある方もいるのではないでしょうか。直接販売を積極的に行う有機農家の方は、ブログや野菜に同封するお手紙で畑のことや日々の暮らしのことをかなりマメに発信しています。個人の農家と消費者が直接フォローし合う関係なので、一般的な野菜農家についてより有機農家についての知識を持っている消費者の方が多いかもしれません。

 

一方、スーパーなど巷の野菜の状況は違います。一年中同じ種類の野菜が出続け、同じサイズで形の揃った野菜が全国で同じように手に入ります。工業的に製造されたものと同じように規格化され安定供給されているのです。

 

特に有機農業界では、そのような規格化された野菜については批判的に語られます。そんな売場や既存の食のあり方に疑問を感じている消費者も多くなってきたことを実感しています。

 

だけど、未だに社会を支えている食品のほとんどが一般的な流通を経たものであることに変わりはありません。実際、特に疑問を感じずに生活している消費者の方が多数で、こちら側の方が少数派なんだなってことは、ちょっと街に出かければわかります。

 

僕は、食の問題の本質は「食に対する無関心」にあると考えています。

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産地リレーという仕組みを
知っていますか?

それ自体はありふれた結論だし、あるべき食の姿を考えたり実践している人々もぼちぼち現れています。だけど、実際に街の暮らしを支えている「既存の食」への理解を置いてきぼりにしていいのだろうかと感じています。

食品流通の仕組みが意図的に食への無関心へと導いたとは、考えたくないのです。

 

実は農家に転職する前の職場は、東京のスーパーでした。毎日当たり前のように食べものが揃っているスーパー。消費者にとってのスーパーの価値とは、日常に必要な食材が毎日「揃っている」ことです。店舗があって、そこに行けば期待を裏切ることなく、冷蔵庫に補充すべきものが置いている。家庭の冷蔵庫のバックヤードとして、在庫を切らさないよう揃えているのがスーパーの役割です。

 

小売のスーパーと同じように、もう一つ川上側の卸売市場も野菜を「揃える」ということに全力を注いでいます。市場は全国の産地や生産者と結びつき、品物を切らさないよう集めなければなりません。消費者はスーパーに揃ってなきゃ困る、スーパーは市場に揃ってなきゃ困るってことです。

 

では、さらに川上側の産地は、いつも安定して野菜を「揃える」ことができるのか?

 

「自然に左右される一次産業で、いつも同じように安定して出荷できるはずがない」ということはなぜか常識のように語られます。実際、無い時は無いです。

 

にも関わらず、スーパーや市場で野菜が完全に途切れることはほぼありません。それは農業技術の発展による安定した生産、産地や流通の工夫や努力があるからこそですが、消費者の方にはあまり知られていません。

 

例えば、日本の縦長の国土を活かした産地リレーという仕組みがあります。南・北や高低差による気候の違いを利用し、同一品目でも地域によって出荷時期が少しずつ異なります。この時期の差によって同じ品目の野菜が長い期間、途切れることなく供給できるのです。品種改良や農業技術の発展により、まったくの季節外れと思う時期でも途切れない品目もあります。どんなに切羽詰まった時でも外国産がカバーできる体制が整っています。

 

そんな食品産業全体の仕組みや連携を知ることは、「食育」の第一歩であるべきです。

 

「揃える」という価値観は野菜のサイズや形などの規格化も進めました。よく誤解されていますが、農薬を使う農業であっても規格通りの野菜が畑に並ぶわけではありません。収穫した後にサイズや形や色などで選別し、同じ規格のものを箱詰めしています。そこまでが農家の仕事なのです。

 

うちの出荷には規格などは無いわけですが、規格外の野菜を流通させる=箱詰めして送るということはとても手間がかかることです。これを通常の流通が負担するには、既存の仕組みが巨大すぎるし、そのコストは小売価格に上乗せされます。うちみたいな小さな農家だからこそ、細かな対応を「強み」として取り組めるのです。

 

たとえ無意識だとしても、世間は「揃える」という工業的な価値観を食の世界にも要求しています。その日の食べものを確保するのにエネルギーの大半を費やさなければならないような都会の暮らしなんて、もはやありえないのではないでしょうか?

 

実際にこの国の優秀なスーパーや流通はその価値をほぼ完璧に実現しています。消費者がまったく疑問を感じる必要もないほど完璧です。

 

この完璧さを当たり前のように提供し、享受してきたことが「食への無関心」をまねいたのかもしれません。

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市場へ行こう

突然ですが、卸売市場に行ったことはありますか?東京でいえば大田とか築地にある市場です。

 

大都市にある卸売市場には毎日とんでもない量の野菜が運び込まれます。満載の大型トラックが全国から食べものを運び込みます。食べものがほとんど作られていない地域で暮らしてるのならば、自分の口に入るもののほとんどが卸売市場を経由したものなのです。

 

どれほど高度な情報化社会であっても、食べものは必ず質量をもった現物が流通しています。全国の産地と消費者の間に張り巡らされた巨大で複雑なネットワーク、それが一点に集まるポイントが市場です。人間が運営し、人間が荷物を動かしています。

 

前日夜から全国のトラックが集まり荷物を降ろしていきます。夜が明けるとセリが行われ、買い手(仲卸と呼ばれる中間業者であったり、スーパーのバイヤーなど)が決まり、場内から野菜は運び出されます。リセットされた市場には次のトラックがやってきます。これが毎日粛々と繰り返されているのです。

 

しかし、地震の時に気づいた人も多いかもしれませんが、かなり不安定でギリギリの状態で運営されているのが現実です。なにかのきっかけでトラックが動かなかったら、高速道路が使えなかったら、市場の何らかの機能が壊れてしまったら。

 

いちど気づいたはずの、街の生命の危うさ。再び「当たり前のこと」として忘れようとしていませんか?市場へ行って、食べものの質量、それに関わる人の営みを体感して欲しいのです。

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主体的に食べものに関わるべきは
消費者だけじゃない

食べものが「工業製品と変わらないモノ」として扱われるようになり、生産や流通への無関心が拡がりました。だけど、工業製品ならばすべてつくり手の思いやストーリーの無いただの消費材であるかといえば、そうではないはずです。食べものを生産する側にも「生産」と「消費」が切り離された原因があるのではないでしょうか?

 

これまでの農村は、都市の発展を支えるためという商売っ気のない使命感を誇りに食料の供給に専念してきました。安定して揃えるために畑とだけ向き合ってきたことが、「消費への無関心」を招いたのかもしれません。いつの間にか「生産性」と「効率」が常識として認識され、消費者・生産者・流通それぞれが向き合って食のあり方を考える場はありませんでした。

 

TPP問題でも、生産者と消費者が向き合ってこれからの食べものをどうしていきたいかという話をする場がどれほどあったでしょうか?

 

「日本の農業を守る」ということが目的として語られることに違和感を感じています。安全保障という食べものと関係ない文脈で語られたり、農村や農業を維持するための補助金でしか農村を守る手段が思いつかないというのは、生産者として悲しいことです。

 

本来の「農業を守る」ということは、日本の農産物が消費者に主体的に選択していただいた「結果」として達成されるべきだと思います。

 

これからの食べもの、一次産業を守るには、まず生産者・消費者が垣根を超えて主体的に関わり語り合う場が必要です。

 

巨大な市場流通であっても、「匿名の食べもの」にならないために生産者、消費者それぞれが取り組めることはあるはずです。

 

まず生産者が「ただの供給者」であることから脱却することです。市場の安定を目的とするような大規模な農業であっても、その思いはきちんと知ってもらうべきです。どの生産者も誇りをもって食べものを作っているのだから、それを消費者に直接訴える情報発信をしなければならないと思います。

 

消費者ならば、まずは食べものの産地を知る程度のことから始められると思います。産地の先に「個人」の生産者が見えてくるかもしれません。ちょっとした買い物するときネットで商品情報を確認したりしますよね?そんな感覚で食べものに関わることもできるのではないでしょうか。

 

大量消費を享受するだけでなく、少しだけ心の余裕を持って食べものを知り、選択することこそ本当の豊かな生活だと思います。

 

そんな豊かな食を実現するため、このNIPPON TABERU TIMESの役割は大きいと感じています。全国の食べものと様々な価値観と生産者が集まる、産地と消費地を結ぶ中間地点になっています。まるで「市場」みたいだなと感じています。


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