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原体験としての食の再考:菊地晃生(農家・秋田県潟上市)

in ピックアップ/秋田/編集長ピックアップ/農家の仕事/農家漁師の「論説」
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農家 秋田県潟上市

ancient future

今、この美しい田園、農村の風景が大きな転換点を迎えている。世界有数の降雨量を受け止めてきたダムとしての水田が、トンボやホタルなどとともに育んできたこの文化拠点の歴史が、今まさにこの時代に失われるという瞬間に置かれている。土壁の和風建築を育んできたのも稲作を営む過程で生まれた土からの発見だし、世界に誇る土木技術も本来、水田の水路の開削や人力の築堤に端を発している。

先人の偉大なる功績の上に住まわせてもらっているこの文化の流れを、今、私たち現代人は自らの手で断ち切ろうとしている。今ほど平成の農地改革が急がれるときはない。ここで、何か手を打たなければ、日本中の水田はだめになり、先人たちが積み重ねてきた努力と功績、いのちの循環をすべて無にしてしまうだろう。かつてみた美しい農村の風景。懐かしい未来の創造をこの地点からはじめたい。

たんぼ競争から共奏、共想、共創(キョウソウ)のアースワークへ

大規模生産化された米づくりは、大量の農薬、化学肥料と化石燃料の地球エネルギーを必要とし、あらゆる産物を投下しながら土地からの収奪を続けることになる。このままではこの星はいくつあっても足りないということになりはしないだろうか。おかげで、米そもそもの価値も失い、土本来の地味を持たない米に成り下がり、米をつくっていては飯が食えない悪循環が顕在するに至った。こんなに米が余っているのであれば、もはや大量につくることをやめ、収量目標を半分に見積もり、自然本来に寄与できるたんぼへと転換を図ったほうが良い。

そもそも、お米という主食、食料を農業という産業主義的な近代のシステムとしてしまったことに大きな過ちがあったと考えられる。この転換点に立った21世紀の僕ら百姓は、草々虫々と意識を共有しあい(共奏)、食べることとつくることの身体感覚を取り戻し(共想)、豊かな未来デザインのアースワークとして(共創)手を取り合いながら、都市居住者へと農村の空間を開いていく必要があるのではないか。プラント工場になってしまった田んぼを未来のランドスケープとして設計変更するタイミングを迎えているとも言える。

生産現場は疲弊し、消滅しかけようとしている。圧倒的に生産の力が減退してきている。人が足りない。人手がなくて荒れ果てるたんぼが急増している。かつてトフラーさんが「第三の波」でイメージしたような(*4)生産的消費者=プロシューマーの誕生。そういった人が増えることが、今、農村に残された数少ない選択肢の一つのように感じている。

一億総皆農論

専門化され分業化された近代マインドセットは、私たちの可能性を画一化している。百姓は統合的な能力のことを言い、社会に依存する側ではなく社会を創造する側となるような力強い生き方ができる。百姓が増えることで、隣の百姓と手を取り合って、2百姓。100人の輪になれば万姓という大きな力に成りうる。全員が農民に戻る必要があるわけではない。しかし、今すぐにでも暮らしの一部に百姓を取り入れることは可能だ。

週末に、月イチで、あるいは繁忙期に年1回とそのステップを踏んでいくことで、農村×都市のランドスケープ、心の情景が再構築されていくのではないだろうか。除草剤に頼らず、殺虫剤に頼らず、化石燃料に頼らない生産は、多大なる手間を要する。草々、虫々、生きとし生き合うものたちとの日々の感謝の気持ちが、「いただきます」という祈りを生み出してきた。日々の「祈り」の連続が「実り」を生む。ここで実ったカルチャーが新しい時代のイマジネーションを醸成していく。

こうした原体験としての食の再考が、現在、最も私たち現代人に欠けている要素ではないかと思う。お金があれば何でも手に入ると思い込んでいるが、こうした考えは、私たち自らを不感症にし、人類本来の感性、可能性をふさぎこんでいるように感じている。日々の暮らしの中に、何故私たちが食べているのか、何を食べているのか、どうして食べているのかを取り戻し、暮らしに農を取り入れることで、自我と他者である「自然」とを二分する思考の原理を振り子の原理で呼びさましたい。「我想う故に我在り」から「君想う故に我在り」への転換。高橋編集長が掲げる「第2のふるさとづくり」と言えるかもしれない。現代が失ってきた心のふるさとは、全国各地の農村部にもはや捨てられるほど広がっていきている。つまり、そこらじゅうにカルチャーが眠っている。

まずは、手漕ぎボートの乗組員たちが停留できる小さな湊が必要である。それぞれの小さな湊は、新たな交易の起点となる。近代側からはdown shiftersと形容されるかもしれない。しかし、僕はそれは懐かしい未来に向けたひとつの時代のはじまりと捉えている。

<編集部注>
*4 『第三の波』は、アメリカの評論家・未来学者アルビン・トフラーの1980年の著書。

(2015.7.27)


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農家 秋田県潟上市