「バチ当たっていい」樹齢800年の御神木をなぜ切ったのか 小国町・渡邊拓磨さん(2)

in 小国町/編集部のインタビュー記事
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第一回から

「バチ当たっていい」

山形県小国町樽口集落に生まれた渡邊拓磨さんは、子ども時代を思い出しながら私たちに語ってくれた。

「オレが小学生の頃、(樽口集落の)じいちゃんばあちゃんが優しくて、あるばあちゃんが登校時には麦茶を、下校時にはおにぎりを持って家の前で待っていてくれた。それを今でも覚えているから、何かお返しをしたいなってなるよね」

 

拓磨さんが小学生だったころから、樽口集落に小学生がいることは珍しかった。
子どもや若者が少ない地域は一般的に、暗いイメージを持たれるかもしない。が、頃合を見計らってよその家の子のために麦茶を片手に待っていたおばあちゃんがいる。そんな集落を、温もりや思いやりの集まりの様には感じられないだろうか。

 

そんな温もりは土地由来のものなのかもしれない。

樽口集落には、樹齢800年以上推定40数メートルの御神木があったそうだ。御神木は文字通り、神の宿る木だから基本的には伐採してはいけないとされる木。けれど100年程前、やむをえず御神木を切ってしまった。そのやむをえない理由とは一体何だったのか?

 

「よく、『残ってたら観光名所になったんじゃない?』と言われるが、これ今残ってたら樽口もオレもいない」と拓磨さん。

 

というのも、御神木が切られた理由は、樽口集落が当時水不足に悩まされていたことにある。山を貫通させ、樽口の反対側の山から水を引く大規模な工事の資金を得るために樽口の人たちは苦渋の決断で御神木を切ったそうだ。

▲樽口神社にある「御神木」の跡。写真に収まりきらない大きさだった

 

「昔の人が考えてるのが自分たちのことだけじゃないんだよね。これから孫の孫の代まで、集落を存続させるために。『バチ当たってもいい、神木を切らないと』と決意した。オレからしたらどんだけ先見てんだよと。これはオレはちょっと堪えられない・・と思って」

 

「孫の孫の代まで」考えて生きた樽口の先人たちの歴史に自分が生かされていると感じる拓磨さん。昔の人の思いやりの偉大さ。次世代への意識が薄く、自分中心に考えがちな若者の一人として、じわじわ感じさせられた。

文:北澤嵩人(食べタイ編集部、早大3年)

【最終回へつづく】

「人口減なのに幸福度の増すまちづくり」小国町・渡邊拓磨さん(3)


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