慣行農家と有機農家との間の深い溝

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農家 大分県由布市

父ちゃんのつぶやき

遠くに携帯会社のアンテナが見えるところが似てますが、うちの畑ではありません。県内有数の野菜生産地、豊後大野の三重の生産法人の圃場です。

ただでさえ引きこもりの竹林畑ですが、有機農家ならともかく普通の農家さんたちとの交流はほとんどありませんでした。
慣行(農薬・化学肥料使う)と有機(まったく使わない)との間にはなぜか深い溝があります。お互い嫌い合ってる場合もあります。

個人的にはそんなに区別することないじゃんって思ってますが、業界が違うって言っていいほど市場や商売の方法、生活や考え方が違っていてお互い未知の存在なのです。

その違いの正体とはなんなのか?という好奇心も動機の半分で、若手農家さんが集まってそうな土の勉強会に参加してきました。
ほんと面白かったです。あちらもすごく興味津々だった気がする(笑

短い時間でしたが、少しだけ溝の正体に迫れた気がします。
帰りながら、帰ってから色々考えましたが、生産性に対する考え方の違いが根本なんだと思います。

まず普通の農家、というか普通の仕事はたいていこっちだと思う・・・
商品の単価があって、自分とこで作れる生産量があって、それらをかけ合わせた収入から経費を差し引くと利益。それを時間で割ったのが生産性、ですよね。

翻って竹林畑。
欲しい収入(目標)がまずあります。毎日きちんと仕事してがんばって作る生産量があります。じゃあ単価は?
簡単です。単価=収入÷生産量。

お互い同じ方程式を使ってますが、逆算してるみたいなのです。
慣行(とうか普通の仕事)には要求されてる生産性があり、それをクリアするためにコストを下げたり効率上げて生産量増やしたりの努力があるわけですね。あたり前ですね。
そりゃあ、うちらにも相場や求められる生産量は最低限ありますが、「お天道様次第だよね〜」的なイケナイ経営感覚が根本にあることは認めざるをえません!
100品種超えも見えてきたうちみたいな方法では、一品目あたりの生産性を出すのは不可能という事情もあります。

そして、これは慣行どうなの?って思うこと。
慣行の農業界には自分ではどうすることもできない「相場」がある。少なくとも相場への依存度が大きい。相場を無視できない縛りみたいな。

慣行の方に「有機じゃ作れないでしょ?」ってよく言われます、今回もやっぱり言われました。以前はムッとしてましたが、その言葉の意図がどうも食い違ってたようです。
「無農薬で野菜ができるわけねーだろ」って意味ではなく(たまにそういう人もいますが・・・)「有機じゃ慣行と同じ生産性をあげることはできないよね?」って意味だったんです。
無農薬でやっても、少なくとも収量ゼロにはなることはありません。虫がきたり病気が発生したりするけど、意外と「全滅」が起きることはないです。
たいていの品目で生産量は減りますが、あとは単価でカバーです。極端な話、収量が半分になったら2倍の値段で売れば生産性は変わらないわけです。そして、売れなきゃ作らなきゃいい。

もちろん技術を上げて収量をあげたり、なんらかの付加価値で単価をあげたりは両者ともやってることだと思います。だけど、単価を定数として扱うか、自分で決められる変数なのかは大きな違いです。
単価・相場への依存度、縛られ具合のゆるさは百姓的な少量多品目農家ならではなんだと思います。

改めて自分たちの農業・仕事の立ち位置がはっきり見えてきた刺激的な経験になりました。

(2017.2.22)


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