【まとめ】「僕らが育てているのは、工業製品じゃない」

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食べるとは、他の生きものの命で自らの生きものとしての命をつなぐ営みでした。そしてそこには、感謝、祈り、感動があり、食べものは“命”そのものとして大切に扱われていました。翻って現代の日本はどうでしょうか。世界の大量消費文明社会の先頭を走ってきたこの国では、食べものが工業製品と変わらない“モノ”として扱われ、食べることが、まるで車にガソリンを給油するかのような行為に貶められています。なぜ、このようなことになってしまったのでしょうか。(引用:NIPPON TABERU TIMESが目指すビジョン)

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「僕らが育てているのは工業製品じゃない」。そんな生産者の声が、全国各地から寄せられています。いのちは、なぜモノになってしまったのか。いのちの工業化の先には何があるのか。3人の農家さんの記事を手がかりに、つまびらかにしていきましょう。

 

No.1 柿木敏由貴さん(岩手県、畜産家)

「牛づくり、という言葉にまとわりつく違和感」

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「○○作り」って表現は農業でよく使いますよね。
土作り、野菜作りなど等
これを畜産で使われた時に、スゴく違和感を感じてしまうのです。
「牛作り」「~なお肉を作っています。」

ん~…
確かに、大きな意味では間違いではないんですが
畜産は、命の恵みを頂いている生業だと思っています。
どんなに科学が進み、知識と努力で、需要に向けた狙い通りの肉質にする事が出来たとしても
生産者が、命を生み出している訳ではないし、お肉を作り出している訳ではないと思います。
先の表現を使ってしまった時、あたかも人の力で全てコントロールしている様な印象を受けます。

お肉は工業製品ではありません。生き物です。
命は、人の思惑など意に介さず、不完全でありながら完成された不思議を感じます。
どんなに手を尽くしても助けられない儚さ
手の施し様もなく諦めたものが回復する生命力
そういう事を現場で目の当たりにすると、人が出来る事など些細で、
コントロールしているなんて傲りは吹き飛んでしまいます。

漫画ブラックジャックの本間先生の名言
「人間が、生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね…」
畜産業をしている限り、この言葉は常に心に留めておきたいと思っています。

元記事:2016.02.05

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柿木さんが言うような、尊厳ある「いのち」が、なぜモノになってしまうのか。その理由の一端を指摘するのが、次の紀陸さんの記事です。

 

No.2 紀陸洋平・聖子さん(福島県、農家)

「たったひとつ、傷んだ苺によせられるクレーム」

「こんなことしてるから日本はダメなんだ」

私たちが出荷してる大手スーパーの青果部のパートさんの言葉です。
毎日の青果物の廃棄の多さに怒っていました。

「イチゴなんか1個でも白っぽくなってたらクレームがくるんだよ。そんなクレーム珍しいことじゃない。お客さんお金払ってるんだから分かるよ。でもね。だから、前日のイチゴはみんな下げるの。捨てた方が人件費考えたら安いんだけど、そんなこと(人として)出来ないから全部ばらして徳用に入れかえるんだよ」

そう、お客様はお金を払って買ってくださいます。
私たちも、痛んだもの、虫がついているもの、落ち葉などの混入などないよう最善を尽くしています。でも、どんなに注意しても、100%ゼロにすることは出来ません。自然の中で育てているという特質上無理です。

イチゴの話も、専門的な細かいことは分かりませんが、より熟したおいしいものを収穫しようとしたら痛みやすいでしょう。細心の注意をしてイチゴ農家の方は収穫してて、でも、微妙な個体差があったり配送の間のちょっとしたことだったりで1個だけ白っぽくなってしまったりするんじゃないかな…

それは商品としてダメなんです。農家も店側も言い訳は出来ません。
お金をいただいているのに申し訳ないです。
でも、言わせてもらいたい。

畑で出来たものは工業製品じゃないんです。

生き物なんです。

畑と、消費者が遠い。そう感じてなりません。
それは、農家も悪い。
多くの農家が、自分達の育てたものがどんな経緯を経てお客様の口に入っていくのか知らないから。
日本の食を支えている大規模農家の方とお客様が遠すぎる。
そして、お店の現場にいるパートさんは廃棄に胸を痛めてるけど、お店の(会社の、卸の)エライ人たちが胸を痛めていないから。(多分)
廃棄は損益だ、とかじゃなく、胸を痛めてたらもっと食に関して、違うことを社会に発信することができるはずです。

元記事:2016.4.13

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巨大な流通システムにより、分断された生産者と消費者。両者を媒介するのは、お金というツール。知らない間に、人と人のつながりは消え、お金ばかりがのさばるようになってしまったのかもしれません。

その意見を踏まえたうえで、「いのちの工業化」の先に何があるのか。大分県の竹林さんの論考をご紹介します。

 

No.3 竹林諭一・千尋さん(農家、大分県)

「『野菜は工業製品ではない』というけれど」

僕は、食の問題の本質は「食に対する無関心」にあると考えています。

それ自体はありふれた結論だし、あるべき食の姿を考えたり実践している人々もぼちぼち現れています。だけど、実際に街の暮らしを支えている「既存の食」への理解を置いてきぼりにしていいのだろうかと感じています。

食品流通の仕組みが意図的に食への無関心へと導いたとは、考えたくないのです。

実は農家に転職する前の職場は、東京のスーパーでした。毎日当たり前のように食べものが揃っているスーパー。消費者にとってのスーパーの価値とは、日常に必要な食材が毎日「揃っている」ことです。店舗があって、そこに行けば期待を裏切ることなく、冷蔵庫に補充すべきものが置いている。家庭の冷蔵庫のバックヤードとして、在庫を切らさないよう揃えているのがスーパーの役割です。

小売のスーパーと同じように、もう一つ川上側の卸売市場も野菜を「揃える」ということに全力を注いでいます。市場は全国の産地や生産者と結びつき、品物を切らさないよう集めなければなりません。消費者はスーパーに揃ってなきゃ困る、スーパーは市場に揃ってなきゃ困るってことです。

(中略)

たとえ無意識だとしても、世間は「揃える」という工業的な価値観を食の世界にも要求しています。その日の食べものを確保するのにエネルギーの大半を費やさなければならないような都会の暮らしなんて、もはやありえないのではないでしょうか?

実際にこの国の優秀なスーパーや流通はその価値をほぼ完璧に実現しています。消費者がまったく疑問を感じる必要もないほど完璧です。

この完璧さを当たり前のように提供し、享受してきたことが「食への無関心」をまねいたのかもしれません。

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食べものが「工業製品と変わらないモノ」として扱われるようになり、生産や流通への無関心が拡がりました。だけど、工業製品ならばすべてつくり手の思いやストーリーの無いただの消費材であるかといえば、そうではないはずです。食べものを生産する側にも「生産」と「消費」が切り離された原因があるのではないでしょうか?

これまでの農村は、都市の発展を支えるためという商売っ気のない使命感を誇りに食料の供給に専念してきました。安定して揃えるために畑とだけ向き合ってきたことが、「消費への無関心」を招いたのかもしれません。いつの間にか「生産性」と「効率」が常識として認識され、消費者・生産者・流通それぞれが向き合って食のあり方を考える場はありませんでした。

TPP問題でも、生産者と消費者が向き合ってこれからの食べものをどうしていきたいかという話をする場がどれほどあったでしょうか?

「日本の農業を守る」ということが目的として語られることに違和感を感じています。安全保障という食べものと関係ない文脈で語られたり、農村や農業を維持するための補助金でしか農村を守る手段が思いつかないというのは、生産者として悲しいことです。

本来の「農業を守る」ということは、日本の農産物が消費者に主体的に選択していただいた「結果」として達成されるべきだと思います。

これからの食べもの、一次産業を守るには、まず生産者・消費者が垣根を超えて主体的に関わり語り合う場が必要です。

巨大な市場流通であっても、「匿名の食べもの」にならないために生産者、消費者それぞれが取り組めることはあるはずです。

まず生産者が「ただの供給者」であることから脱却することです。市場の安定を目的とするような大規模な農業であっても、その思いはきちんと知ってもらうべきです。どの生産者も誇りをもって食べものを作っているのだから、それを消費者に直接訴える情報発信をしなければならないと思います。

消費者ならば、まずは食べものの産地を知る程度のことから始められると思います。産地の先に「個人」の生産者が見えてくるかもしれません。ちょっとした買い物するときネットで商品情報を確認したりしますよね?そんな感覚で食べものに関わることもできるのではないでしょうか。

大量消費を享受するだけでなく、少しだけ心の余裕を持って食べものを知り、選択することこそ本当の豊かな生活だと思います。

そんな豊かな食を実現するため、このNIPPON TABERU TIMESの役割は大きいと感じています。全国の食べものと様々な価値観と生産者が集まる、産地と消費地を結ぶ中間地点になっています。まるで「市場」みたいだなと感じています。

元記事:2015.11.19


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畜産農家 岩手県久慈市山形町
農家 福島県石川町
農家 大分県由布市