“自由”な職業・農家の道を選んで:濱田智和(農家・富山県黒部市)

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この記事の書き手
農家 富山県黒部市

略歴
1971年 富山県黒部市にて生まれる
1993年 新潟大学農学部卒業
1995年 新潟大学大学院農学研究科修了
1995年 小川香料株式会社入社
2001年 ワーキングホリデーにてカナダで1年間生活
2002年 帰国後、米作り修行スタート
2004年 濱田ファーム発足
現在 妻、娘(7歳)との3人暮らし

私は、富山県黒部市という自然豊かな土地に生まれ、高校卒業までこの素晴らしい自然に育まれてきました。その後、新潟に6年、埼玉、千葉に合わせて5年、カナダに1年と渡り歩き、やっとここ地元の黒部に腰を落ち着け、農家という職に巡り会って10年余りが経ちました。

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農業とは距離を置いていた時代

私の実家は、稲作を営む小さな兼業農家でした。小さな頃から米づくりを手伝っていましたが、汚れるし、恥ずかしいし、農家はイヤだなあという気持ちでいっぱいだったことを今もよく覚えています。

大学進学で選んだのが農学部だったので、誤解されることも多いのですが、当時の私は農家になろうなんて全く思っていませんでした。たまに「専業農家・濱田ファーム構想」を周囲に話していたと、友人から聞いたことはありますが、私がはっきり覚えていないところをみると、たぶん冗談だったんだと思います。地元を離れてからも、田植え、稲刈りくらいは手伝っていましたが、その作業は決して楽しいものではなく、里帰りついでのアルバイト程度に考えていました。

大学生活を散々楽しんで、就職した先は都内にある香料会社でした。香料会社とは、簡単に言うと「香り」を研究開発する会社のことです。ここでフレーバリスト(調香師)という肩書きで、食品用の香料の研究開発をしていました。この会社には5年間勤め、社会のしくみや会社の役割、社内での様々なルールなど、社会人としての基本を学びました。この経験があったおかげで、社会的な、いわゆる常識が身に付いたと思っています。今、サラリーマンを卒業して自営業者になってみて、これはものすごく重要な経験だったと感じています。

カナダ・ワーキングホリデーで
人生が変わった!

30歳を目前にして、都会の住み難さ、サラリーマンとしてのしがらみに悩むと同時に、人生の方向性についてなんとなく考えていました。そこに以前から構想を練っていたワーキングホリデーという制度に、年齢制限(30歳まで)のあることが分かり、いよいよこの計画を実行することにしました。ワーキングホリデーとは、一年間の滞在ビザを取得できて、語学の勉強、アルバイト、旅行などを楽しめるものです。

私はスキーが好きだからという単純な理由で、行き先にカナダを選びました。安定していた会社員を辞めて、英語を話すことは全くできず、知り合いも誰もいない外国によく行ったものだ、と今にして思います。

ホームステイしながら語学学校で英語を学ぶことから始まり、山奥の一軒家でのファームステイを通じて、カナダでのゆったりした時間の流れを体感しました。その後、1ヶ月かけてのカナダ横断の旅やヒッチハイクでのスキー場巡り、カナディアンロッキースキー三昧など、カナダワーキングホリデーを満喫してきました。

仕事や日常の忙しさで忘れがちな、家族との交流やプライベートの時間を大切にするカナダ人の考え方に触れることができたこの1年間は、私のライフスタイルに大きく影響を与え、大げさにいえば、私の人生のターニングポイントだったと思います。

とにかく農家になりたい!

さて、1年間のカナダ生活に別れを告げて、2002年に日本へ帰国しました。

帰国後、しばらくはカナダと日本の文化のギャップに戸惑いました。例えば、日本人的な行き届いたサービス、機能性の高い様々な商品(電化製品、工業製品)、そして言葉が通じる!(コレ大事!)など、日本の良い所が見えやすくなりました。逆に他人とのふれあいが少ない、人が道を横断する時に車が止まってくれない、後から入る人に配慮してドアを開けておいてくれる人が少ない、日本の不寛容な所に戸惑いました。

また、地元を長く離れていたからこそ気付く、ここ黒部の良いところもたくさんありました。自然が豊かで、カナダにも近いゆっくり流れる時間は、都会では感じることは少なかったように思います。
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地元に帰って、次の職業を考えていたとき、すぐに思いついたのは常に身近にあったお米の農家になることでした。考えられる農業関連の機関(JA、市役所、農林振興センター、県の農業会議等)に出向き、農家になりたい意志を伝えましたが、全ての機関での回答は、「やめておけ」でした。

当時は、軽い憤りさえ感じていましたが、今はその言葉の意味が分かります。農家の中でも、特に米農家を始めるには広大な農地、巨大な設備と農機具が必要になります。ましてや米づくりのノウハウも持たない零細兼業農家の息子が専業農家になりたいなんて来たところで、門前払いは当たり前だったのかもしれません。しかし、その時の私は若く、勢いがありました。とにかく農家になりたいからなんとかしてくれ!と担当者を説得して、ムリヤリ農業研修をさせてもらいました。短期、長期研修とステップアップして、2年後にはついに新規就農者規模拡大支援事業という補助事業まで受けることになりました。つまり、専業農家としてがんばりなさいというお墨付きをいただいたというわけです。

晴れて専業農家としてスタートを切ったわけですが、技術的にもレベルが低く、また、機械設備も十分ではなかったので、先輩農家からのアドバイスをいただいたり、色んなものを借りたりもしていました。

そして、これが一番辛かった経験かもしれないのですが、資金繰り、つまり所持金がわずかだったことです。自分の貯金を取り崩してパートタイマーの方への賃金(バイト代)にあてたことが、個人事業主の自己責任という言葉の本当の重みを感じた時でした。

こんな感じで専業農家になりたての頃は、七転八倒しながら、でもあきらめずにコツコツと今に至る道のりを歩いてきました。

田植え

専業米農家・濱田ファームとして
掲げた「自由」

濱田ファームという名前を使い始めたのは、私が就農して間もなくの頃でした。この時決めた濱田ファームの理念の一つに、「自由な職業・農業をとことん楽しむ」というものがあります。農業は「伝統的な職業」の一つではありますが、その栽培方法、地域とのつながりといったことを指して「伝統的」と考えられているように思います。実際農家になってみると、農業が伝統的や古典的なものからはかけ離れたものであることに気が付きました。

まず、服装が圧倒的に自由そのものでした。どんな格好をしていても農作業ができればOK。泥だらけ汗まみれになることさえ気にならないのであれば、どんなにおしゃれな格好でも構いません。アウトドアな仕事なので、個人的には機能性の高いウエアが最適だと思っています。

また、これが私にとって一番合っていると思うのですが、仕事の時間、これがまた自由自在です。一般に農業は、天候に翻弄されて予定通りにならないつらい職業だと思われがちです。例えば、雨が降ったらできない作業なんて稲刈りをはじめ山ほど有りますし、真夏の炎天下の作業も危険なのでやりません。しかしそこを逆手に取って、作業の進捗状況に応じて残業をしたり、暑さを避けて早朝に作業したりと、仕事の時間は自分で自由に決めることができるのです。もちろん、雪が降ったら外作業なんて絶対出来ないので、スキー三昧となります。

農業に対する農家の理念で最も重要な要素の一つ、栽培方法についても、もはやいうまでもなく自由です。農家を始めた頃は、なんとなく地域の慣行栽培(JAや振興センターが決定する地域の通常の栽培方法)に沿って栽培していましたが、直売というスタイルに移行するに連れて、栽培方法も変化して行きました。生産者が消費者に目を向け、その声に耳を傾けたとき、栽培方法なんていうものは簡単に変わってしまうものです。これまで農家のやりやすいようにつくられていたもの(慣行栽培)が、消費者が求めるもの(農薬をなるべく使わない農法や有機栽培など)へと移行していくことは、我が家にとって自然な流れでした。と同時に全ての作業を見直し、効率化を図ることで、今も栽培方法を改良し続けています。

しかし、地主さんや地域との関わりは、土地利用型の稲作を行う限りついて回る課題です。ここは農業の伝統と古典の根幹をなすところなので、そうやすやすと崩れることはありません。信じられないかもしれませんが、「年貢」や「小作」、「ヤミ米」なんていう言葉、未だに使われているんですよ!ここは、つかず離れず、あまり嫌われては、地域で農業が出来なくなるので、声のトーンは低めにひっそりとやり過ごします。

「本当の美味しさ」とは?

そして、濱田ファームとして、もう一つ大切にしていることは、お米の美味しさです。ま、米農家としては当たり前ですよね。でも、この美味しさというのがくせ者なんです。

美味しさとは、何か?

私は香料会社で散々研究してきましたが、これはとても難しい課題だと思います。あえて簡単にいってしまえば、美味しさとは、味と香りと食感のバランスです。また、口に入れる前の視覚、つまり見た目(つやがある、色がキレイ、形が良い、瑞々しいなど)も重要な判断要素です。これが調理したもの……熱を熱を加えたり、調味料を使ったり、たくさんの種類の材料と混ざったり、となると、さらに美味しさの判断が複雑になることは想像できるでしょう。つまり、人間が美味しさを感じ取る、特に味覚と嗅覚についてはとても曖昧で、更に、美味しさの感じ方は千差万別で、客観的に美味しさを評価することは非常に困難だといえるでしょう。

実は、そんな曖昧で客観的に評価しづらい「美味しさ」よりももっと「美味しく」するものがあると私は思っています。それは食のバックグラウンドを知るということです。

野菜や果物が農家の手でこんな風につくられている、こんな環境で育っている、という情報がインプットされると、愛着が湧くというか、「食」そのものに興味が湧いてくるのかな、と私は考えています。

お米を買ってくれているお客様に、このようなバックグラウンドを届けられるように、我が家では毎月発行の濱田ファーム便りやホームページ、フェイスブック、ほぼ毎日更新のブログといった様々な手段で情報発信を続けています。これらの情報発信は妻の担当なのですが、単調な作業が多い米づくりで、毎日のように更新するブログのネタを探すのも一苦労のようです。ですから、トラブルやアクシデント発生の時の妻の喜びようは半端ではありません・・。毎回面白がって取材に来てくれるようになってからは、これらのトラブルを私自身も楽しむようになれました。これも情報発信の意外な副産物だといえます。

また、我が家の米づくりが一段落する10月から3月頃まで、東京都内で開催されているマルシェやファーマーズマーケットというイベントに月一回のペースで出店しています。これは、私たちがつくったお米や加工品を、直接お客様に販売する良い機会になります。このとき、お客様からは、どこで採れたものか、農薬は使っているのか、肥料は何か、あなたがつくったのか、などなど多種多様な質問を受けます。そして、みなさん納得して買っていかれます。その結果、たまに、美味しいという言葉がもらえたりすると、我々はもう喜んで、この楽しくもない農作業に没頭できるのです。

つまり、消費者のみなさんが、食に興味を持って美味しく食べてくれることで、農家の生産意欲を向上させているという事です。これはまさに「食と農の循環」であり、農家と消費者をつなぐ絆になっていると私は考えています。

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農業は「自由な職業」、だから私はこの職業を選びました。
でも、いま、それはちょっと違うかなと思っています。

仕事は多かれ少なかれ、つらいことも楽しいこともあります。どうせやるんなら、つらい仕事も楽しんでしまおう!そんな包容力のあるフィールドはもしかすると農業のような一次産業なのかもしれません。

自由なだけじゃない、やりがいもあって、クリエイティブで、なによりも人から必要とされる職業、そんな農業は、私の人生そのものも豊かにしてくれている、いまは、心からそう思えます。


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農家 富山県黒部市