私たち夫婦は「三島うど」に人生をかけました。

in よめの視点/地域/大阪/近畿
この記事の書き手
農家 大阪府茨木市

2015年も「あとわずか」というこのタイミングでブログをはじめます。

手帳にはっきりくっきり
「今年の目標:ブログを開設」
と書いてあり、この1年間おも~くのしかかっていたのですが、
いつ頃始めるとか、更新の頻度とか、内容とか具体的な目標が書いていないのをいいことに、今日の今日まで先送りしてました!!!

やっぱり目標って、期日とか、アクセス数とか具体的に設定しなきゃだめですね。。

とはいえ、何のためのブログなのか。
そこだけはちゃんと整理してスタートしたいと思います。

 

目的その1
「三島うどの認知度をあげる。」

私たち夫婦は今年脱サラし、農業の経験もないまま、「三島うど農家」になりました。

三島うどというのは、小屋の中で藁と干し草を使って栽培する真っ白で軟らかいうどの一種。
大阪の三島地区で江戸時代から(もしかするともっと前かも)栽培されている伝統野菜で、
果物の梨のような甘さとシャキシャキ感が特徴です。

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「超手間がかかる・技術がいる・が、あまり金にもならん」という理由で、
みんな栽培を辞めてしまい、同じ村に住むもうすぐ80歳の農家さんが
全国で唯一、三島うどの栽培を続けておられました。

当然のことながら超マニアックな野菜なので、
私は嫁ぐまで食べたことも見たこともなく、
夫も地元の特産品程度にしか思っていませんでした。

ところが、、この三島うどはなぜか地元の人や一部のファンから熱烈に愛されていたのです。
私も嫁いで1年目は、
「三島うど・・変わった食べ物。まずくもないがおいしくもない。」
それくらいに思っていました。
が、不思議。。
2度、3度と食べているうちに、
「すげーおいしい。もっと食べたい。」と中毒化するように。
(だいたいみんな同じ末路を辿るらしいから怪しげな成分が含まれていないことを願う。)

だから最後の三島うど農家さんから「そろそろ歳だから辞めようと思う。」
という話を聞いた時、
「このまま食べられなくなるのはどうしたって避けたい。」
そう思ったのです。
しかし、周りに三島うどを伝承していけそうな若者はいない。
(なぜなら、高齢化が深刻な地域・・)

そして、2014年夏。
「じゃあ、私たちがやるしかないよね~」
と就農を決意。
夫は師匠に弟子入り。

私が妊娠したので産まれる前に始めなければ!と
その頃にはすっかり三島うどの虜になっていた夫も
慌てて辞表を出し、2015年から本格始動しました。

ちなみに、この頃私は仕事をしていなかったため、
三島うどの収穫までには1年以上を要するにも関わらず、収入の目処は0。
「本気でやったらお金はどうにかなる。
でも三島うどは一度途絶えたらもう戻らない。」
そんなことを言って会社をやめちゃった訳だから親、親類をかなり困惑させたよね笑。

ちなみに新規就農者への助成金制度もあったけれど、
「あなたたちは農業の経験もないので、支援できない」とあっさり却下。

でも、運と人に恵まれていたお陰で、私のもう一つの「志事」だった「地域活性化」の仕事で食べていけるように。
お陰様で、夫は三島うどの生産に集中でき2016年2月にいよいよ初収穫を迎えます。
(息子も無事出産できました~)
綱渡り状態だったけれど、何とか大きな一歩を踏み出すことができました。

私たち夫婦は「三島うど」に人生をかけました。
そして師匠、家族、友人、地元の人、ファンの人みんなが「三島うど」を守ってくれました。

だから「三島うど」をメジャーにしてやりたくて、今年はいろんなところで発信させてもらいました。
そして、ちゃんと「三島うど」で食べていける環境を作り、次の世代につなぎたいと思っています。

長くなったので、目的その2以降は次回に書くことにします。

今回は一方的に熱い想いを書いただけの特に面白くも何ともない内容になりましたが、読んでいて楽しいブログになるよう頑張ります!!
ご贔屓お願いします!!!!

※中井さんのブログはこちら
隠れキリシタンの村に嫁いだら~三島うど×茨木市北部地域×田舎暮らし~

(2015.12.24)

 

編集部追記

2017年に入り、三島うどの生産も2年目に突入しています。注文はこちらから

(2017.2.3)

 


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